【秋バラ】「ピンクノックアウト」を本当にノックアウトしてしまった自分が情けなくて育種家の講座を聴き、ワセオケ弦楽四重奏団の「カノン」に酔う

色彩の香りガーデンで可憐に咲くピンクノックアウト(四季の香ローズガーデン)

 

■バラはすばらしい

 

オータムフェスティバルが行われている四季の香ローズガーデン(練馬区光が丘)で10月23日(日)、バラの育種家である河合伸志氏のバラ講座「世界と日本のバラ育種」を受講した。秋晴れの気持ちの良い日で、咲き誇るバラの香りに包まれた中でコンサートも行われ、ガーデンには多くの人が集まった。

花に関しては素人も同然の私だが、最近ここですっかりバラの虜になってしまった。何せ他の花と違ってバラの花が断然立派すぎるのだ。あまりにも立派で、他の花が霞んで見えて仕方ない。

もちろんバラの素晴らしさは分かっていたつもりだったし、育てるのは難しいことも知っていたはずで、これまではずっと眺めているだけ。とても手を出すには至らなかった。

2016年にオープンした四季の香ローズガーデンもたまにはのぞいていたが、単なる街中ガーデンの1つで、香りの異なる6種類のバラを分けて配置した国内でも珍しいガーデンだったものの、それほど強い関心は湧いてこなかった。

ところが2021年にリフォームされ、本格的にガーデナーの手が入り始めてからは色彩と香りのバラに加えてハーブガーデンも誕生し、規模が拡大。自然ぽさは消えたものの、華やかさが急に広がった気がしてきた。

そうなってくると、光が丘に行く用ができればそのついでに「バラを見にいこう」となるものだ。バラが身近になった。家では小さな庭にいろんなものが植わっているが、それに加えて鉢植えも増えだした。特にコーヒーの木を植えだしてからは一挙に増えた。

 

 

 

■枯れ木になってしまったピンクノックアウト

 

いつの間にかスマホの中はパシャパシャと撮したバラの写真だらけ。あれも美しい、これもきれいと次から次へと目移りしていくのだ。あまりに品種が多すぎて名前もとても覚えきれない。

今年5月の「初心者から始める鉢バラの育て方講座」を受講した際、たまたま空いていた席の上に置かれていたのがピンクノックアウトだった。早い物勝ちでほとんどの席は埋まっていたが、一番前の席が空いていた。そこに座った。

ピンクのバラはどうかなと最初思ったが、受講後には「私のバラ」とすっかりとりこになっていた。意外とこのピンクがいいのだ。うっとりしてしまう。受講2日目にマツキヨで7号鉢を買って植え替えた。

ところがその後のフォローが良くなかった。花芽が付き次第つぼみを指で摘み取る「花芽摘み」をするようにと講師が言っていたものの、花芽と一緒に葉も摘んでいた。それを10月初旬まで行った。そうするといつの間にか花もなくなり葉っぱも消え、坊主になっていた。それまではまた新しく花芽も葉っぱも生えていたから大丈夫と思っていた。

要は残すべきところも摘み取っていたのだろう。秋バラが咲くどころか葉もなくすっかり枯れ木になってしまった。知人がみて「枝は枯れてなさそうなので、来春には生き返るかもしれない。かすかな期待を持ってそれを待つしかない」と言った。

私は傷心の胸を抱いて秋の講座に出席した。講師になぜかと聞いたが、「葉っぱは光合成という大事な仕事をする。それがないと株は生き残れない」と笑われてしまった。何か決定的な失敗を犯したのに違いない。

 

■「コンフィダンス」を知って育種に関心

 

河合氏は小学校の頃に紫色バラの代表である「ブルームーン」に出会ってバラってなんてきれいなんだと思い、高校のときに今度は「ブラックティ」と出会った。茶色と言えばいいのか紅茶色を持ったハイブリッドティー種。なかなか不思議な色をしている。

18歳くらいから育種を始めた。一番最初に作ったのは「ウィンド・ソング」。すこぶる強健で、それだけが取り柄というバラだった。それをたまたまコンテストに出したら銀賞を取った。

大学は園芸学部に入り、卒業後はタキイ種苗に入った。品種改良に関心を持ったのは「コンフィダンス」(Confidennce=信頼)を知ったのがきっかけ。片親が殿堂入りの大きな花を咲かせるピースだった。仏の育種家フランシス・メイアンの作出花の1つ。

それでコンフィダンスの花の立派さはピースからの親譲り。色と香りはミシェルメイアン(フランシス・メイアン氏が愛娘に捧げたバラ)からもらった。さらに勉強していくと、ミシェルメイアンはピースの子どもだった。

理論的にはコンフィダンスの4分の3はピースから受け継いでいる。これとこれをかけ合わせたらどうなるか。そういうことを考えるようになった。

 

■黄色は自己主張が強い

 

・バラは一輪でも見応えのある立派な花だ。たくさんの女優がいる状態ではけんかをしてしまう。それでイメージの似ている花をまとめていくと、すっきり見ることができる。

・バラをやっているときに一番嫌なのは黄色だ。黄色は自己主張が強いから。目に付く。白とか黄色は拡大色と言って実際の大きさよりも大きく見える。黒っぱい色や濃い色は逆に小さく見える。

・黄色はうるさい色だから、ブルーなどを合わせると爽やかな印象になってくる。すがすがしい感じ。私は横浜イングリッシュガーデンのスーパーバイザーを務めているが、メインは「50mのバラのトンネル」。

・他には中之条ガーデンズ(群馬県中之条町)。ここの一番の売りはガーランド。昔からのバラ園と言えば、神代植物公園の沈床式ガーデンが有名だ。これはこれでスケール感があるが、パッと見ると全部が見えるので私はあまり好きではない。中之条ガーデンズでは細長い土地をもらって作っていった。

・ガーデンにあるガーランドとは花綱のこと。支柱の間にロープやチェーンなどを渡し、そこにつるバラを絡ませていくガーデンデザイン。もともと古代ギリシャの彫刻や建築に見られる装飾模様だったが、この技法をガーデンデザインに持ち込んだ。バラを用いたガーランドは特に美しく、イングリッシュガーデンでもよく登場するデザインだ。

 

右側は園芸品種のアブラカダブラ。花色が魔法にかかったような色合いということで名付けられたらしいが、花は野生種と丸で違っている

 

■野生と園芸品種の差が大きいバラ

 

・人間が積極的にバラの品種改良を始めたのはおおよそ150年ほど前から。150年の間にたくさんのバラが出来上がった。バラの栽培は紀元前から行われていた。最初は薬用とか香料として使われ、その後観賞用に広がっていき、さらに教会などで使用され宗教と結び付き、王家ともつながり特別な存在となった。

・19世紀になると中国や日本のバラがヨーロッパに持ち帰られ、バラの改良が進んでいった。150年の間にものすごく進化した植物となった。

・カサブランカで有名なユリ。野生のヤマユリと改良されたカサブランカとの間にそんなに違いはない。アジサイも同様だ。しかしバラは野生種と園芸品種との差が大きい。全く違う姿になっている。

・われわれ現代人は園芸品種を見慣れているので、山に入って見て「これバラなの?」というくらい変わっている。野生のバラは基本的に一重だ。花の大きさも2~3㎝。大きい物でも8㎝。

・それに比べて改良されたバラのピースの花は12~13㎝はある。いかに花が大きくゴージャスに改良されたか。

 

四季咲き大輪系の第Ⅰ号品種「ラ・フランス」

 

■20世紀を代表する最高傑作品種「ピース」

 

・野生のバラは秋に咲かない。年に1回しか咲かない。これを四季咲きにして花を大きくすることが最初に行われた。一番先にできた四季咲き大輪系のバラは「ラ・フランス」。今見ると普通のバラにしか見えないが、当時はとても驚かれるバラだった。

・ヨーロッパではバラに人の名前を付ける習慣があって、ピースも元々の名前は「マダム・アントワーヌ・メイアン」だった。作出者の仏人フランシス・メイアンの母親の名前だった。これが四季咲き、大輪化でトップを占めた。

 

ピース

ピース(四季の香ローズガーデン、2021.10.31)

 

■世界中で大ヒット

 

「ピースは木立性のバラで、八重咲きの大輪花を付け、その黄色の花弁にピンクの覆輪をかける。世界で一番美しいバラと言われたこともあり、世界バラ会議が『栄光の殿堂入りのバラ』に最初に選んだのもこの品種である」(ウィキペディア)

「20世紀を代表する傑作品種。バラの歴史を大きく変えた、フランシス・メイアンの最高傑作の1つ。巨大輪の先駆的品種であり、黄色の花に薄いピンク色の覆輪が入るふっくらとした花容、照りのある大きな花、まとまりよく伸びる樹に巨大輪であるにもかかわらず良好な花付き、そして強健な樹勢、良質な性質を多く持ち合わせたこの品種は戦後世界的大ヒットとなった。特徴的な照り葉は交配親の『マーガレットマグレディ』より受け継がれたものです」(姫野ばら園八が岳農場HP)と絶賛されている。

「巨大輪の花が大変評価され、交配親としてもよく利用されました。コンフィダンスなどのピース直系の品種はモダンローゼスの中でも280品種以上あります。孫品種まで含めれば膨大な数になります。これらのピースの子どもたちを総称して『ピースファミリー』と呼ばれている」(同上)

「第2次世界大戦の時代に作出され、一時無くなりかけていたが、アメリカで密かに保存されていたようで、ベルリン陥落のニュースが世界中を駆け巡り、戦争のない世界を願ってConard-Pyle社が『ピース』と命名しました。『ピース』は世界中で大ヒットとなり、日本でも輸入され、飛ぶように売れたようです。現在でもその価値は衰えることなく、栽培され続けています」(同上)

 

 

 

 

■黄色の登場に誘発され多彩化進む

 

・黄色のバラも人間が頑張った仕事だろう。バラの野生のものは白、薄いピンク、ピンク、紅色くらい。ごく一部に黄色がある。野生では黄色は非常に珍しい。

・これから改良して最初にできたのが「ソレイユ・ドール」という黄バラだ。実際にはオレンジ色で、返り先も秋にはないが、この血筋から本当の四季咲き黄バラ「スブニールドクロ-ジュペルネ」が誕生する。大戦で戦死した息子の名前だ。

・黄色ができたことによって一気にいろんな色のバラができるようになった。

 

病気に強いピンクノックアウト(四季の香ローズガーデン)

 

■病気に負けない「ノックアウト」

 

・バラはデリケートで難しい。これを解決したいというのが永遠の課題だ。丈夫なバラの追求が1980年頃から行われている。あんまり手を入れなくても咲くランドスケープローズ。その中で究極のバラ「ノックアウト」が登場する。

・病気に強いバラを追求していったが、すこぶる病気に強いバラがノックアウトだ。花がら摘みをしなくても勝手に次から次へと花が咲く。瞬く間にアメリカからヨーロッパに広がり、すごい数の苗木が植えられている。一番最近殿堂入りしたバラだ。アマチュアの育種家で、これで大金持ちになった。

・ヨーロッパでは人気が高いが、日本ではあまり人気がない。日本人はもっと柔らかく優しい色が好きだ。人によっては名前が許せないという人もいる。ノックアウトは病気に負けないという意味を込めている。

 

早稲田大学交響楽団の弦楽四重奏

バラの香りに包まれた園内で

 

■ワセオケ弦楽四重奏団が「カノン」を弾く

 

早稲田大学交響楽団の弦楽四重奏を聴いた。モーツアルトなどのほか、ラヴィアン・ローズ、見上げてご覧、となりのトトロなどが演奏された。最後はパッヘルベルの『カノン』が弾かれた。

色んなレビューサイト」によると、バッヘルベルのカノンとして有名なこの曲は『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジークニ長調』の第1曲。ドイツの作曲家、ヨハン・パッヘルベルが1680年頃に作曲したという。

また同サイトによると、「カノンとは、音楽では輪唱のように複数の同じメロディーをずらして演奏する技法、またはその様式の曲のこと」だという。

 

 

■耳に快く響く曲

 

「バッヘルベルのカノンは最も有名なカノン様式の曲で、3つのヴァイオリンが全く同じメロディーを演奏し、それに伴奏がついた」。「輪唱なので伴奏の方も同じコード進行が繰り返される」。

「単純と言えば単純だが、これが耳にも快く響くということで、何度聴いても飽きず、また聴きたくなるような魅力のある曲になるのです」

ビートルズの「レット・イット・ビー」はこのコード進行の曲で有名だという。

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