【花火】荒川河川敷の涼風を味わいながら楽しんだ「いたばし花火大会」=東京最大の「尺5寸玉」が夜空に花開く

まだ明るい「いたばし花火大会」会場

ムスリムの人たちも

スタート10分前、段々雰囲気が出てきた

 

■初めて行った「いたばし花火大会」

 

中止に追い込まれるところも出てきたようだが、夏の風物詩である花火大会が今年も全国各地で行われた。特定時間に特定場所で行われる花火大会に行った記憶は残っていないが、すぐに消え去る花火はそれなりに風情のあるものだ。

東京都西部の練馬区に住んでおり、隣の区である板橋区花火大会がいつも気になっていた。気にはなっているものの、観賞しに行くまでには至らなかった。忙しいのが理由だとしても要は天邪鬼なのである。今年は8月3日(土)に開催された。

練馬からだと北に歩くなり、バスに乗ればそのまま荒川に達するのだが、バスの路線は極めて複雑。乗り継ぎが厄介だ。距離を優先してバスを使っても、結局電車を使って都心部に出て、会場に向かった方が結局は近いのだ。

大江戸線で光が丘から都庁前まで出て、そこから今度は同じ大江戸線の春日で都営三田線に乗り換える。そこから主会場の西台まで13駅、高島平駅だと14駅で意外に多くて遠い。

 

会場マップ

 

19時スタートに合わせて16時に家を出たものの、三田線は大混雑。昔はすし詰め電車によく乗ったものだが、最近はとんとご無沙汰。これほどぎっしり詰まったのは久しぶりだった。

西台駅で降りて会場までとにかく歩く。荒川河川敷まで歩くと普通約20分程度だが、この日は至る所に規制が張られ、40分はかかった。場所取りが結構大変だ。

我々(夫婦)は有料指定席を事前に買い求めるなどせず、当日朝、「荒川河川敷で花火が上がるらしい。見に行こうか」程度の気楽な取り組み。この気楽さが問題だ。

正直、きちんと有料指定席が用意されていた。最も良い陸上競技場席(丸テーブル)は3万2000円(4枚1組)。椅子席だと1人5500円。8人グループ席だと4万円。プライムシートは1枚6000円、S席5000円、A席4500円など。

全席プログラム付き。未就学児の膝上鑑賞は無料。最近は有料席が設けられた。高いお金を出すだけのことはある。座席には席種ごとに専用アイテムが付いているのだ。シート敷席ならブルーシート、スタンド席なら段ボール椅子などだ。

しっかり花火をそれも打ち上げ現場の目の前で見たい人は高いお金を払えばいいが、「たかが花火。少しだけ花火の雰囲気を味わいたい」と思っている人にとっては無料で十分だろう。

空は有料も無料もない。文句を言わず何とか無料席の端で見れた。それだけでも幸せだ。無料席は有料席の左側の、会場から少し距離はあったものの、水辺とあって涼しい風が吹き渡ってとても無料席とは感じられなかった。

 

少し遠くで打ち上げが始まった!

 

■荒川対岸と同時開催

 

花火は全国各地で行われている。東京だけでも葛飾納涼花火大会(江戸川河川敷)や隅田川花火大会(隅田川)、江戸川花火大会(江戸川)、神宮外苑花火大会などが有名だ。

花火と聞いてすぐ出てくるのは「たまや~」「かぎや~」の掛け声だ。生活総合情報サイト「AllAbout」によると、中国の火薬の発明が戦の武器となり、やがて通信手段ののろしが夜にも用いられるようになって、火薬をきらめかせる技術が花火に発展したという。

日本で初めて花火を鑑賞したのは徳川家康だとか。三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だという。その後、花火は急速に発展し、江戸時代に開花した。

 

たまや~

 

■失火し玉屋は追放処分に

 

両国の大川(現在の隅田川)にて川開き花火大会(隅田川花火大会の原型)開催。そこで活躍したのが日本橋横山町の花火師・鍵屋六代目弥兵衛だった。

最初は鍵屋が独占していたが、鍵屋の番頭の静七が暖簾分けし、両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗る。やがて川の上流を「玉屋(たまや)」、下流を「鍵屋(かぎや)」が担当し、2大花火師の競演が続いた。これを応援するための掛け声が「たまや~」であり、「かぎや~」だった。

しかし、玉屋は天保14年(1843年)の出火で大火事となり、玉屋市兵衛は江戸から追放される。「玉屋」は廃業してしまった。「玉屋」が存在したのはわずか35年間だった。

鍵屋より後発でしかも追補されて消えた玉屋だが、掛け声は「鍵屋」よりも多いのは花火の技術が勝っていたこと。さらに「鍵屋」よりも「玉屋」のほうが語呂が良く掛け声を掛けやすかったことらしい。それが今も続いている。

 

かぎや~

 

■板橋区と埼玉県戸田町の境界変更を記念して

 

とにかく花火である。空がなければならない。お台場や神宮外苑などはテレビ局お抱えだ。有料化が進められ最近はスポンサーが付いている。

「いたばし花火大会」の始まりは昭和26年(1951年)8月18日。前年に東京都板橋区と埼玉県戸田町との間で境界が変更されたのを記念して「戸田橋花火大会」として開催された。

名称は「戸田橋花火大会」、「区民納涼花火大会」、「板橋花火大会」、「いたばし花火大会」と変遷を告げている。

会場となっている荒川河川敷の土手も、座りやすい階段状に整備されたほか、花火についても尺5寸玉やスターマインなど約7500発、名物の仕掛け花火「ナイアガラの滝」などが打ち上げられている。

今年は同じ荒川土手ながら対岸の「いたばし花火大会」と「戸田橋花火大会」とは同時開催された。打ち上げ数は合計で約1万3000発。

 

号数による到達高度と開花時の大きさ(半径)出所:日本の花火

手前2.5号(7センチ)から10号(30センチ)、後ろは20号(2尺)(出所
:日本の花火)

 

■東京最大の「尺5寸玉」(15号玉)

 

花火は何と言ってもそのサイズがモノを言う。コロナもあって昨年4年ぶりに帰ってきた板橋が誇る「尺5寸玉」(15号玉)は都内の花火大会では最も大きいサイズの打ち上げ花火。

打ち上げ花火を大きさ(打ち上げ前の寸法)で分けると、日本では尺貫法の寸(約3.3センチ)を基準にして小さな2寸玉(直径6センチ)、3寸玉、4寸玉、5寸玉、6寸玉、7寸玉、8寸玉、尺玉(1尺)、尺2寸、尺5寸、尺6寸、2尺、3尺、4尺と直径1メートルを越えるものまである。
 
いたばし花火大会が注目されるのは東京最大の15号玉(尺5寸玉)が登場することだ。「日本の花火」によると、その花火大会で打ち上げることのできる最大の玉の大きさは「保安距離」によって限定されるのだ。
 
 
 
 
■大玉には一定の保安距離が必要
 
 
「これは打ち上げ場所から観客や付近の建物まで玉の大きさに合わせて、一定の距離(10号で半径290メートル)を置かなければならないという安全距離で、都道府県により規定が違っている」という。
 
より広い保安距離が確保できる場所では予算の範囲内で大きな玉を打ち上げられるが、逆に大都市近郊では「打ち上げ場所が狭い」ために小玉ばかりになってしまうらしい。
 
屈指の規模で咲き誇る花火も地理的環境が重要だというわけだ。東京最大の「尺5寸玉」という大玉が打ち上げられるいたばし花火大会が荒川河川敷という地の利を得て根強い人気を得ているゆえんである。
 
それでも昨年4年ぶりに開催された「いたばし花火大会」も昨年は、プログラムの1つである「大ナイアガラの滝」実施中、付近の3カ所で下草が燃え、消火活動を行うも「来場者の安全確保が難しい」と判断し、3分の1を残して中止に追い込まれている。風が強かったせいかもしれない。
 

そろそろフィナーレへ!

 

 
 
■目黒さんま祭りもイベントは中止へ
 
 
草っ原で玉や「たまや~」「かぎや~」と声をかけていればよかった花火大会や祭りだが、「入間川七夕まつり」なども中止や休止に追い込まれている。
 
その理由となっているのが担い手不足や、安全確保の問題だ。NHK「首都圏情報ネタドリ!」によると、毎年9月にJR目黒駅前で24年続いてきた「目黒のさんま祭り」は今年はさんまを振る舞うイベントを中止せざるを得なくなっている。
 
7000匹が無料で振る舞われることで人気を集め、来場者はおよそ3万人を記録していた。商店街の店主たちで作り上げてきた祭りで、行政への書類作成や当日の設営作業まで、すべて自分たちで行ってきた。
 
転機となったのが新型コロナウイルスの感染拡大。それまでのさんまの不漁に加え、感染対策のためイベントは中止となった。運営メンバーの高齢化も立ち塞がった。
 
実行委員長の中崎政和さん(75)は番組の取材に対して次のように述べている。
 
「ずっと続いていたら、今年もやっているかもしれない。コロナで3~4年やらなくなったら、ちょっとみんなの気持ちが違ってきちゃった。若ければできたかもしれないけれど、年を取って、これからまた再開というのはね・・・」
 
 
 
 
 

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