【10月上旬ぶらぶら散歩】吉祥寺を歩き「幕張メッセ」にも足を延ばし秋を楽しむ一方、愛用のクスリ不足に胸を痛める日々
■井の頭公園をぶらぶら
初めて都内武蔵野市にある井の頭公園に行ったのは確か大学時代に杉並区善福寺に下宿していた時だからもうかれこれ50年近く前のことになる。
50年も経つというのに今もその時の記憶が鮮明なのだ。人間の記憶力には敬意を表したい。どういう具合なのかあの時にこういうことがあったとすぐに思い出せる。
善福寺の下宿から歩いても20分ほどで吉祥寺だ。吉祥寺は50年前も賑わっていた。今も昔のハーモニカ横丁は基本的に変わっておらず健在だ。
最近よく軽井沢の別荘にお邪魔する友人夫婦が東京に来た。よく知らないという吉祥寺の街を少し歩いた。
■昔はサンロードがメイン
もちろん昔からあってよく覚えているのは吉祥寺サンロードやハモニカ横丁くらいで、あとは知らなかった。
今は公園通りが中心だが、昔はサンロードがメインだった。吉祥寺駅北口ロータリーから真っ直ぐ伸び、五日市街道に至る約300mの全蓋式のアーケード商店街である。
テフロン膜を採用したデザインで、昼は自然光を柔らかく、夜はアッパーライトによる空間の広がりを演出しているのだという。
アーケードの中程には「西友」があり、その向かい側には月窓寺の大きな山門がどっしりと立っている。ちなみに月窓寺はハモニカ横丁の地主だという。
■行列店の最中の「小ざさ」やメンチの「さとう」も
ダイヤ街は吉祥寺北口ロータリーから公園通りまでの170mの通りと途中の、途中のレンガ館モール前から分岐して平和通りに至る約90mの通りで構成された「T字状」の全蓋式のアーケード商店街。
こちらの歴史も古く、まず「South zone」が完成。ついで「East zone」と「West zone」が建設された。
特に吉祥寺の行列店として有名な「小ざさ」(羊羹・もなか)と「さとう」(丸メンチ)は「East zone」に狭い路地を挟んだ隣同士で店舗を構えている。
■フライパン専門店も
吉祥寺は住宅地と商店街が入り混じった不思議な街だが、どこにでもないようなお店も出店している。
今回面白いと思ったのはダイヤ街South zoneにあるフライパンに特化した店を出している「フライパン」(経営はビデオインフォメーションセンター)。
最近のフライパンはディープパンとも呼ばれるほど底が深く、炒め物のみならず焼く、煮る、茹でる、揚げるメニューもこなせる万能型に人気が集まっている。
「深さがあるため、食材の量が多くても中身がこぼれにくく、大人数向けにボリュームのある料理をつくりたいときにも便利」(Best One)
「また、浅いタイプのフライパンに比べて油の跳ねや飛び散りが少なく、後片づけや掃除が簡単なのも魅力だ」(Best One)
店長の辻麻衣子さんは「フライパンの鉄製やガス専用、中華鍋、プロが使う業務用、小さいサイズなど100種以上、1000個以上をそろえる。お客さまは一般がほとんどだが、業務用の商品が欲しい場合、合羽橋まで行かなくても手に入る品ぞろえをしている」(吉祥寺経済新聞)と述べている。
友人夫婦はここでフライパンを1つ買ってお土産にされた。4人でランチをし、喫茶店でコーヒーを飲んだ。あんまりいい天気なので、暑かったものの、公園を散歩しようということになった。
日差しの中を歩くと少し汗ばむものの、日陰に入ると涼しい。今年の秋は異常らしいが、それでも確実に秋が来ている。
■秋の風物詩「彼岸花」もすぐに散って
秋の花を考えていると、彼岸花が思い浮かんだ。これが意外なところに咲いている。東京・練馬区内では道ばたのお地蔵様のそばだったり、車の往来の激しい道路際だったりする。
「たかまつ憩いの森」で見つけたのが上の写真だ。彼岸花は赤が当たり前と思っていたら、最近では白いものも見掛けるようになった。白といっても、真っ白ではなく黄みがかかったような色をしている。
この白い彼岸花は赤い彼岸花の一種で、正式名称を「白花曼珠沙華」(しろばなまんじゅしゃげ)というのだという。
田舎では9月になると田畑のあぜを赤く染めるように咲いていた。チャンバラごっこで切りまくったことをよく覚えている。
埼玉県の巾着田や権現堂堤(埼玉県幸手市)などの群生地では人の手が入っているとか。あれだけの群生は自然に生えるはずがない。
■サイゴンビールで祝杯!
10月は2度幕張メッセに行った。第14回農業WEEK(通称J-AGRI TOKYO)を取材するためだ。農業・畜産の展示会だ。
東京も埼玉に近い西部地域から東部地域を横切ってで電車を乗り継いで千葉市まで行くのだが、乗ってるだけでも2時間近くはかかる。よほどのことがない限り行く気になれない禁止的な距離だ。
しかし行けばそれなりの”発見”はある。しかもセミナーはやはり面白い。どちらも園芸店の株式会社ガレージ(愛知県豊橋市)の二村昌彦代表と株式会社オザキフラワーパーク(東京都練馬区石神井台)の尾崎明弘社長の話を聞いた。
2人のトップはどちらも海外志向が強く、両人ともオランダで学んでいる。尾崎社長は現地で花屋さんまで経営している。どちらの話も面白かった。
セミナー終了後、名刺交換の場が用意されているのも良かった。見本市を主催するRX Japan(旧リードエグジビションジャパン)の企画力には敬意を表したい。
帰ろうと思ったら、入口に近いレストラン「World Kitchens」に引っかかった。ちょうど喉も渇いていた。そこで目に入ったのSAIGON special。330ml。
ベトナム最大のビールメーカー「サイゴンビール・アルコール・ビバレッジコーポレーション」のプレミアムビールだとか。アルコール度4~5%。
800円もしたが、ここでしか飲めないと言われると飲むしかない。軽やかな苦味とシャープな後味が特徴だ。ポテトチップスを口に放り込みながらサイゴンビールを口にした。
■幕張メッセも幕張新都心の一画
京葉線「海浜幕張駅」の夕景である。ホームの先端から東京方面を眺めると高層ビルが林立していた。
そんなことに感心していたら、幕張メッセ自体が千葉県の「幕張新都心」の一画を構成し、海浜幕張駅はその中心に位置することを知った。知ってはいたが、さほど実感が湧かなかった。
この日は小雨交じりの生憎の天気だったためか、さほど巨大さを感じなかったが、実は幕張メッセ周辺は「千葉都心」、「蘇我副都心」と並んで「幕張新都心」と位置付けられているのだ。
新米記者時代に千葉支局で勤務した私にとって千葉都心は古巣でもあり懐かしいが、幕張新都心はその後できた都市。国際展示場の幕張メッセもまだ形もなかった。
■10年間、コロネルを服用
年寄りに薬は欠かせない。何の薬も飲んでいないという老人もなかにはいるが、いつの間にか薬漬けの人生になってしまった。
「メガネをかけるようなものだから」と言われ、血圧降下剤を飲み始めたのが30代後半で、それから一気に薬との付き合いが深まっていく。
いまでは不整脈改善薬や潰瘍性大腸炎対応薬などビタミン剤を含めてずいぶんたくさん飲んでいる。薬とは切っても切れない関係だ。
過敏性腸症候群治療剤の「コロネル500mg」を飲み始めたのは2014年9月に潰瘍性大腸炎で大腸全摘手術を受けてから。その後、朝昼晩の1日3回合計9錠を10年間飲み続けている。想像するだけでも恐ろしい。
アステラス製薬(本社・東京都中央区)が製造している薬剤で薬価は1錠9.6円。コロネルは総称名で、一般名としては「ポリカルボフィルカルシウム」と言うそうな。
アステラス製薬は山之内製薬と藤沢薬品工業が2005年4月に合併して設立した会社。
■切り替わった「ポリフル」も限定出荷に
この10年間飲み続けてきたコロネルがある日突然、「ポリフル」に変わった。それもこれまでカプセルだったのが、細粒剤になった。これまでは他の薬品と同様カプセルを飲めば良かったが、細粒剤になった結果、かなり飲みにくくなったのだ。
これまでコロネルは薬用箱に収納していたが、ポリフルに切り替わった結果、使っている薬箱に収まらない。不便このうえない。
ポリフルに切り替わったのはアステラス製薬が2024年1月23日、コロネルの販売中止を発表したため。
ポリカルボフィルカルシウムを有効成分とする「コロネル」と「ポリフル」が「一物二名称製品」として販売されてきたため、ポリフルに集約させたというのが会社側の説明だ。
■苦労するのはいつも患者側
コロネルからの切り替えの影響を受け、ポリフルを製造しているヴィアトリス製薬(米ファイザーのアップジョン事業部門と米マイラン製薬が2020年に統合して誕生したジェネリック主体の製薬会社)は限定出荷を開始し始めたという。
今や薬は自分の命をつなぎ止める生命線。その糸が切れそうになっていく。コロネル製造取りやめを怒っているどころではない。代替品のポリフル自体、メーカーからの出荷が絞られていく。
ジェネリック製品が市場から消え、欠品が相次ぐジェネリック業界の背景には大手メーカーの不祥事やコロナ禍があったと3年前に記事で指摘したが、どうやら状況は一向に改善していないようである。