【映画】8人の剣士が運命に引き寄せられ壮絶な戦いに挑む物語(虚)と北斎との交流を軸に戯作者・滝沢馬琴の創作への執念を描いた実話(実)の交錯するエンタメ映画『八犬伝』

「八犬伝」パンフレット

 

作品名:八犬伝
監督・脚本:曽利文彦
原作:山田風太郎『八犬伝』(角川文庫)
キャスト:滝沢馬琴役(役所広司)
     葛飾北斎役(内野聖陽)
上映館:ユナイテッド・シネマとしまえん

 

■「八犬伝」を見る!

 

「南総里見八犬伝」という物語の名前にはひどく親しいものを感じるのは団塊の世代に共通しているのではないか。

何を見たのかよく思い出せないながらも、「南総里見八犬伝」という名前だけは「十五少年漂流記」とともに深く記憶に刻み込まれているのだ。

1973年にNHK人形劇で「新八犬伝」が人気となったらしいが、その時は25歳の頃。既に社会人になっていた。その後も1983年に映画『里見八犬伝』が公開されたが、その時は35歳になっている。

それなのになぜか「八犬伝」には血が騒ぐのだ。よく分からない。上映が始まって1カ月ほど経っていたが、いそいそと劇場に出掛けた。見ないでずっと気にしているよりもさっさと見終わったほうが気分的にも楽だ。

 

■虚実交錯したエンタメ作品

 

原作は山田風太郎(1922~2001)である。私が神戸総局時代に車で兵庫県の日本海に近い国道9号線を走っていたとき、たまたま山田風太郎記念館とぶつかった。

職業柄、おかしな物にぶつかったとき、一応それが何かを確かめてみるという習性がいつの間にか身に付いている。

その時も変なところで変なものに出会ったなと思いながら、記念館をのぞいている。特に印象的なことはなかった。画像だけこのブログに上げた。

山田風太郎は日本を代表する娯楽小説家。初期はミステリーを書いていたが、その後時代小説に転換。1958年に発表した「甲賀忍法帖」シリーズで人気を博した。その後も『魔界転生』などを発表している。

 

伏姫と飼い犬・八房(パンフレットから)

 

■房総里見氏の物語

 

『南総里見八犬伝』は、江戸時代の文豪・曲亭馬琴が28年もの年月をかけて書いた長編小説。戦国時代に安房の地を活躍の拠点にした房総里見氏の歴史を題材にしたものだ。しかし歴史を超越している。

体験型リゾート施設を運営するリソルの森株式会社(千葉県長生郡長柄町)が発信するウェブメディア「WELLSOL」によると、室町時代の中頃、妖女・玉梓(たまずさ)の呪いにより、安房国の武将である里見家の娘・伏姫(ふせひめ)は飼犬・八房(やつふさ)の妻になる。これだけでも既に何やら妖怪めいている。

伏姫の婚約者であった若武者・金碗大輔(かなまりだいすけ)は伏姫を助けるため姫らが住む富山(とやま)に赴くが、逆に姫を死へと追いやってしまう。

嘆き悲しむ金碗大輔。すると、姫がかけていた仁・義・智・忠・信・孝・悌の文字が刻まれた8つの数珠が四方へと飛び散った。

金碗大輔は、散った数珠を宿し「里見家を守ってくれる」という8人の犬士を探す長い旅に出る。

作品に登場する里見氏は室町時代~江戸時代初期に実在した武家であり、かつて治めていた安房国(現在の館山市、南房総市、安房郡鋸南町、一部鴨川市)は馬琴が紡ぎ出した物語と史実が入り混じる歴史ロマンあふれる地として知られているという。

 

八犬伝の世界(パンフレットから)

 

■八剣士vs玉梓ら敵対勢力

 

滝沢馬琴は『南総里見八犬伝』を28年もの年月をかけて書き上げたが、山田風太郎は自身の『八犬伝』ではこの馬琴の執筆への意欲・情熱を、葛飾北斎との交流を交えて壮大な構想で現代に翻らせた。

安房里見家の初代当主・里見義実(さとみよしざね)は伏姫の父。伏姫は義実の公言の責任をとり愛犬・八房と洞穴に籠もり、義実に打ち首にされ、その怨念で里見家への呪いをかけた玉梓(たまずさ)と戦う八剣士を生み出す。

それが犬塚信乃(いぬずかしの)、犬川荘助(いぬかわそうすけ)、犬坂毛野(いぬさかけの)、犬塚現八(いぬずかげんぱち)、犬村大角(いぬむらだいかく)、犬田小文吾(いぬたこぶんご)、犬江親兵衛(いねえしんべえ)、犬山道節(いぬやまどうせつ)の八剣士である。

これを今回、曽利文彦監督は山田風太郎の『八犬伝』をダイナミックで緻密なVFX(Visual effects=視覚効果、デジタル画像加工・合成技術)を駆使して実写映画化した。

 

馬琴(右側)と北斎(左側)

 

■自身の信念が揺らぐ馬琴

 

江戸時代の人気作家・滝沢馬琴(役所広司)は友人の絵師・葛飾北斎(内野聖陽)を前に、構想中の壮大にして奇っ怪な物語「八犬伝」を語り始める。

これが映画の発端だ。パンフレットのよれば、その奇想天外の物語に感嘆した北斎は、その場で即興の下絵を描くが、馬琴に正式に挿絵を頼まれると、「文句を言われながら描くのは懲り懲りだ」とその場で下絵を破り捨てる。

しかし、その後も続きが気になる北斎は、ことあるごとに馬琴のもとを訪ねるようになる。ある時、北斎に誘われて、鶴屋南北(立川談春)の新作「東海道四谷怪談」の舞台を観た馬琴は、忠臣蔵の実話に怪談話の虚構をはめ込んだ物語に、辻褄が合わないと違和感を抱く。

馬琴から疑問をぶつけられた南北は、「悪しき者が栄えるこの世の中こそ、辻褄の合わない世界だ」と持論を展開する。

馬琴は「悪がはびこる世の中だからこそ、物語の中だけでも勧善懲悪を貫くのだ」と反論したが、南北の言葉に自身の信念が揺らいだ。

 

両目が見えなくなり、馬琴は失意の底に

 

■息子の妻が失明した馬琴に「手伝いたい」

 

パンフレットは書いている。「八犬伝」は大人気となり、街中の誰もが続きを待ち望んでいたが、それ以来馬琴の筆は進まなくなってしまうのだった。葛藤しながらも自らの想いを貫き、書き進める馬琴だったが、長い間目を酷使したことから片目が見えなくなる。

それでも執念で書き続け、物語もクライマックスに差し掛かった時、遂に両目を失明してしまうのだった。正義を貫き、私生活でも何一つ間違ったことをしたことがなかった馬琴だが、この現実に打ちひしがれ、筆を折って壁に投げつける。

既に連載開始から25年がたち、馬琴は73歳を迎えていた。そんな馬琴に、息子・宗伯の嫁、お路(黒木華)が真剣な面持ちで「手伝わせて欲しい」と申し出る。

 

パンフレットでインタビューに答える役所広司氏

 

■馬琴は「偏屈な人」

 

本作品で滝沢馬琴役を演じた役所広司氏はパンフレットのインタビューで、滝沢馬琴についてどんな人物だったかと聞かれて、「偏屈な人だと思いますよ」と単刀直入に応えている。

「一人遊びが好きで、空想の中に生きた人なんですよね。毎日規則正しく、体操や乾布摩擦も欠かさず長生きをして。実際にいたら、僕なんか近づきがたい、友達にはなりたくないタイプの人だと思います」

「家庭人としては、いつも書斎にこもっていて、食事の時だけ部屋から出てきて、たぶん『おいしかった』とも言わないし、妻に『きょうはきれいだね』とも言わない。そういうことを生涯やり続けて」

「息子にも厳しく昔ながらの侍の教育をして。それでも最終的には息子の嫁に助けてもらって、作品を完成させるわけです。お百には最後に焼き餅を焼かれてね。『ちくしょう』って言ってもらえるだけでも、馬琴は幸せだったと思う」

 

歌舞伎の舞台の奈落に現れる鶴屋南北

 

■歌舞伎狂言作者と問答問答

 

役所広司氏はまた、歌舞伎の舞台の奈落(舞台の地下に位置する空間)で、馬琴が歌舞伎狂言作者の鶴屋南北と長問答するシーンについて、「あの問答は物書きとしての永遠のテーマですし、本作のヘソの部分です」と指摘している。

「僕たち役者だって、南北的な映画に出たいとか、馬琴的な映画に出たいとかを行ったり来たりしているわけですから」

「馬琴は、正義は必ず報われるという物語を書く作家で、現実の世界ではそうでないことは百も承知だけれど、そういう美しい物語を読んで、いい人間に育ってほしいと思っている」

「そこに対極にいるような南北を出したことによって、馬琴の世界がより濃く表現されていると思いましたね」と答えている。

 

曽利文彦監督(パンフレットから)

 

■「正しいものは報われる世の中に」

 

役所氏はさらに曽利監督と話をした中で印象に残っていることについて聞かれ、「正義というもの、これを真っ向から自分は表現したい」と言っていたことを明かしている。

「これは永遠のテーマであり、曽利監督のテーマでもあると思うんですけど。やっぱり正しいものは報われる世の中じゃないといけない。それは時代によっては、ダサいといわれるかもしれないけれど、今は本当にそうであってほしいという願いに、重みがある時代なのかなと思いますね」

「助けを求めている人に手を差し伸べるとか、人の痛みを感じる心がある人間が育つ物語っていうのは、大事なんだと思います」

「曽利監督は今まで作ってきた作品を観ても、少年の頃の心を持ち続けている人なんじゃないでしょうか。そういう気持ちを持っていなきゃ、こういう映画は撮れないです」

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