【軽井沢】間違って旧道に入るもそこで遭遇したのはあの「めがね橋」=「碓氷峠鉄道文化むら」で新緑を胸いっぱい吸ったGW
■相性もよくいつでも受け入れOK
今年も4月28日(月)から5月1日(木)までの3泊4日、軽井沢の友人の別荘に行った。最初に行ったのが別荘が建てられた2020年の翌年だったから今年で5年目である。
1年に2~3回行っているから最低でも10回は行っている。もっと行っているかもしれない。
私の車はノーマルタイヤを装着しており、雪の降る冬場は基本走れない。行くのは大体春から秋にかけて。もちろん、先方の予定の隙間に我々が入るのだから、先方から「おいで」と呼ばれなければ行きたくても行けない。
しかし、どうしたわけか、今も「おいで」が止まることがない。なぜだか深く考えたこともない。あまり深く詮索しないことにしている。
先方夫婦と我々夫婦の相性が意外と合うのかもしれない。そう思うようにしている。どちらもお互いに遠慮があると行く気になれない。その辺がなかなか難しい。
私は気分屋で、協調性にやや欠ける点がある。先方夫婦が私の性格をそのままの形で受け止めてくれるのだ。なかなかできることではなく、有り難いことだと思っている。
■旧道に紛れ込み、碓氷峠を越すハメに
午前中、所要をこなして練馬の自宅を出発したのは4月28日(月)午後2時ごろ。関越道を走って藤岡ジャンクションから上信越自動車道に入り、軽井沢までだと片道約150キロ。2時間足らずだ。
いつもは碓氷軽井沢ICで降りるのだが、この日は松井田妙義ICで降り、国道18号を走った。中山道である。
友人のアドバイスで1つ手前の松井田妙義ICで降りた方が軽井沢まで距離はそんなに違わないものの、高速料金が安いと教えられたからだ。
高速道路を走るのはお金をばらまきながら走っているようなものだ。少しでも安いほうがやはり嬉しい。
国道18号を走っていたら、峠の釜飯で有名な「おぎのや横川店」の少し先でどういうわけか左車線に入り、そのまま坂本宿を通る旧道に入ってしまった。旧国道18号線である。
夕刻で今にも雨が降りそうな雲行きだった。途中でまた国道に戻ると思っていたら、そのまま戻ることもなく、ひたすら古くから交通の要衝として知られた碓氷峠を越すハメに陥った。
■めがね橋の上に登る
ところが間違えてみるものである。間違えて良かったこともあるものだ。道を間違えたお陰で、あの有名な「めがね橋」(碓氷峠第三陸梁)に遭遇したのだ。
めがね橋は明治25年(1892年)に完成した旧碓氷線のシンボルで、202万8000個のレンガで造られた日本最大級の4連アーチ式鉄道橋(長さ91m、高さ31m)だ。
最近では2024年に放送されたテレビドラマ『Believe~君にかける橋~』最終回(6月20日)で木村拓哉(キムタク)演じる橋の設計士・狩山陸が妻・玲子(天海祐希)に橋のすばらしさを力説するシーンを見た。
狩山はドラマで「やっぱり、いいなあ」「素晴らしい」とつぶやく。今にも雨が落ちてきそうな夕暮れ時だったが、誰もいない橋の上は厳かで静寂にとらわれていた。
橋の上部は廃線跡。横川から熊ノ平までの約6.3キロ間は遊歩道アプトの道として整備されている。
■軽井沢は雨だった
友人宅に着いたのは午後5時頃だった。めがね橋で降り出した雨は軽井沢町に入ったころには本降りになっていた。
翌朝、朝食後に近所を散策した。軽井沢は町全体が別荘地で、多くの別荘が建っており、最近も増えているという。
令和7年4月1日現在の軽井沢町の人口は2万1682人(住民基本台帳)。町役場の統計では令和4年1月現在の別荘の数は1万6059戸で、前年に比べ41戸増加している。
同じ軽井沢でもすべてのバランスの整った「新軽井沢」、生活感と大自然が両立した「中軽井沢」、レジャー施設が豊富な「南軽井沢」、閑静な町並み「南ヶ丘・南原エリア」、歴史と権威のある高級地「旧軽井沢エリア」と分かれている。
それにしても桜がすっかり咲き終わった東京からやってきた軽井沢で今を盛りに満開の桜をゆったりと見るとは何たるぜいたくだろうか。
■ルジェンド再訪、至極の料理
昨年に続いて、軽井沢駅近くのフレンチビストロ「ルジェンド軽井沢」でランチした。くつかけステイグループ傘下だが、ランチはリーズナブルな価格で内容も満足できて納得している。
■シンプルかつモダンなフレンチ
とにかくおいしい。フレンチと言うものの、重いソースを使うことなく、シンプルでいて中身は軽めである。
見た目がとても鮮やか。美しいと言えばいいのか。料理を目の前に出されると心が浮き立つのだ。
オマール海老だと+2500円と価格は倍以上にもなるが、そのすばらしい姿を見ると値段なんて吹っ飛んでしまう。
西洋料理で高級食材として重宝されているオマール海老だが、大型のハサミを持つザリガニの仲間。英語ではロブスターと呼ばれる。
ちなみに伊勢エビはイセエビ科のエビで正真正銘のエビ。グレード的にはどうやら伊勢エビに軍配が上がりそうだ。
■めがね橋再訪
30日の軽井沢は快晴だった。別荘地の朝は早い。少なくても我々の東京生活とは2時間ほど早い。我々も頑張って早く起きて、朝食をいただく。
晴れた日のめがね橋が見たくて現場を再訪した。別荘からだと30分ほど。国道18号旧道沿いの歩道からめがね橋の上までは歩いて行ける。
とにかく新緑が目にまぶしいほどだ。新緑のグラデュエーションがすばらしい。やはり新緑は朝に限る。紅葉の季節も良いらしい。
■アプト式鉄道
上で待っていたのはボランティア氏。明治25年(1892年)に完成し、平成9年(1997年)の長野新幹線開業に伴い廃線となった信越本線の過去と現況について説明してくれた。
ボランティア氏の説明を聞いたのち、廃線敷を利用し、整備された約6キロの遊歩道アプトの道を歩いた。
アプトの道は横川駅西側の「起点」から、熊ノ平駅まで。スイスのカール・ローマン・アプト氏によって開発された急勾配を克服して登る鉄道で、アプト式鉄道として知られている。
めがね橋には2時間足らずの滞在だった。軽井沢の行動はもっぱら友人の車。自分は助手席に乗っかっているだけである。
上げ膳据え膳の生活でいいのだろうかとも思うものの、2台の車で移動してももったいない。その日のランチも予約がしてあった。
もちろん、勘定は別々だが、諸経費などはあちら持ちである。嬉しいと言えば嬉しい話だ。
■「鉄道文化むら」に立ち寄り
軽井沢の3泊4日はあっという間だった。5月1日も朝7時に起床。朝食を食べ、9時すぎには退去し、スーパーマーケット「ツルヤ」で買い物し帰途に就いた。
帰りは旧道ではなくバイパスを通り、途中で「碓氷峠鉄道文化むら」(群馬県安中市松井田町横川)に立ち寄った。
■鉄道ファンにはたまらない聖地
鉄道文化むらでは「ぶんかむら駅」から「とうげのゆ」駅まで約2.5キロをトロッコ列車に乗った。列車のそばのアプトの道も歩けたが、40分歩くのは辛く断念した。
歩きながら藤の花ももっと近くで見たかったが、車窓から眺めることにした。途中、丸山変電所でしばし停車し、ついでとうげのゆ駅に着いた。
■峠の釜めし発祥の地
鉄道文化村のすぐ近くにおぎのやドライブインがある。峠の釜めし発祥の地として知られているおぎのや横川店だ。
峠の釜めしと並んでもうひとつ有名な「力餅」は売り切れだったが、釜飯は食べた。昨年10月に1個1400円に値上げされたが、2018年は1080円だった。
峠の釜めしはそんなにうまいものではないとずっと思っていたが、久しぶりに食べてひとつ、ひとつの具材がきちんと煮込まれていることを改めて知った。
具材は茶飯(コシヒカリ)、鶏肉、ごぼう、椎茸、筍、うずらの卵、栗、杏子、グリーンピース、紅生姜。香の物が別容器に付いてくる。
店が今も続いているということは、これを楽しみにしている人がまだたくさんいるということなのだろう。鉄道ももはや走っていない。それなのに駅弁は残っている。不思議と言えば不思議である。