【九州ドライブ旅行⑥】開聞岳を眺めながら小京都・知覧を散策し、遂に足を踏み入れた薩摩の中核都市・鹿児島
■近くでそびえる開聞岳
指宿市は薩摩半島の南端に位置するが、同じく近くでそびえ立っているのが象徴的な火山・開聞岳だ。桜島とはまるで違う。
桜島は現在も噴火を繰り返す活発な複合火山だが、開聞岳は885年の噴火を最後に現在活動を休止しているからだ。
開聞岳は富士山のような美しい円錐形をしているため、「薩摩富士」と呼ばれている。標高924mと桜島より低いものの、山容はどっしり落ち着いて存在感がある。
■車載型カーナビの怖さ
開聞岳を眺めたあとは知覧に向かった。カーナビに「知覧」と打ち込み、あとのナビゲーションは車任せ。と言いたいところだが、カーナビがきちんと目的地に連れて行ってくれるとは限らない。
最終的に目的地に到着するとしても、問題はカーナビの性能だ。カーナビが古いとその後の道路事情が更新されないからだ。
新道ができてもそれが更新されないとなると、それこそ道なき道を進むこともある。へたをするととんでもない道を案内したりも平気でする。カーナビ恐るべしである。
それでも土地勘が少しでもあったら、全くおかしなところに行くこともないが、いつも関東エリアを走っている人間が九州エリアを走るのである。それこそ闇雲に走ることになる。
方向だけは合っていたとしても、古い道や酷道に誘導されることがこれまでの経験で何度もあった。車載型のナビは要注意である。常時更新型のスマホのナビを兼用すべきだ。
■お茶街道を走る
それでも知覧に向かって27号線をのんびり走っていたら、突然周囲にお茶畑が広がってきた。そう言えば、知覧は知覧茶で有名な土地である。27号線はお茶街道と呼ぶそうだ。
たまたま「お茶街道ゆとり館」(南九州市頴娃=えい)に車を駐めた。一台も車がない。レストランらしいが、どうやら休業しているらしい。
あとで調べたら、運営会社の無断撤退により休館中だとか。そんなにお客が集まらなかったようだ。商売は難しい。
■知覧は人名から
知覧とは面白い地名だなと思っていたら、どうやら人名らしい。薩摩平氏の一族である知覧氏が12世紀末から治め、後に島津氏の一族(佐多氏)が領主として支配した土地のようだ。
国の史跡に指定されている知覧城跡はその知覧氏が築いたとされ、深い谷(空堀)と切り立った崖に囲まれた南九州特有の山城だいわれる。残念ながら知覧城跡はゆっくり観光する時間がなかった。
■薩摩の小京都
びっくりしたのが武家屋敷群。メインストリートから1本入ったところに江戸時代の薩摩藩の町並みを現代に残す風情豊かな武家集落があるのだ。
薩摩藩はこうした屋敷群を「麓」(ふもと)と呼んでいた。藩内には120ぐらいの麓があったという。
折れ曲がった通りに美しい生け垣と石垣が続いている。敵の侵入を防ぐためにわざと見通しを悪くした「屈折のある道路」や、弓矢から屋敷を守るための「屏風岩」、魔除けの石敢当(せっかんとう)など、薩摩武士の防衛の工夫が随所に見られる。
各武家屋敷には母ヶ岳(ははがだけ、517m)を借景にした日本庭園が残されており、「国の重要伝統的建造物群保存地区」に選定。7つの庭園が名勝として一般公開されている。
町全体がまるで日本庭園のような景観を作り出しており、町全体を「薩摩の小京都」と呼ぶそうだ。
■郷土料理をいただく
江戸時代の武家屋敷が今なお「町並み」として残る知覧にある和の趣。その趣の1つがさつま郷土料理を提供している高城庵(たきあん)。
殿様御膳、武家御膳、高城庵セットなどはいずれも鶏のさしみ(鳥刺し)が付いている。
さつま揚げも郷土料理の1つ。魚肉のすり身を成型し、油で揚げた食べ物。鹿児島では衣を付けないで素揚げにする点が通常の天ぷらとは異なるようだ。
食事をした座敷には「敬天愛人」の額が掲げられていた。「天をうやまい人を愛する」。この言葉は結構懐かしい。
明治時代の思想家である中村正直(1832~1891、なかむら・まさなお)が広め、のちに西郷隆盛や京セラの創業者である稲森和夫の経営哲学としても広く知られるようになった。
■”必死条件”だった特効作戦
知覧は先の太平洋戦争の末期、米軍に向けて特攻攻撃を敢行した日本軍の基地があった土地でもある。
現在はそこに「知覧特攻平和会館」が建っている。「特攻戦争」ならまだしも、「特攻平和」には違和感を覚える。
知覧特攻平和会館HPの「航空特攻作戦の概要」によると、特攻作戦とは「重さ250㎏の爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず”死ぬ・亡くなる”という『必死』条件の作戦」だった。
特攻作戦には知覧基地をはじめ、宮崎県の都城など九州の各地、当時日本が統治していた台湾などからも出撃しているが、知覧が本土最南端だったこともあって戦死者1036名中439名と最も多かった。
本格的な特攻作戦は陸海軍共同で4月6日第1次総攻撃として始まり、7月19日第11次総攻撃の終了まで続いた。
■出撃までの数日を過ごした三角兵舎
知覧町の森林の中にはかつて特攻隊員が暮らしていた「三角兵舎跡」がある。敵機から判別しにくいように半地下構造で屋根のみが出ている兵舎。
現在は残されていないが、知覧平和会館には三角兵舎が再現されている。隊員たちはこの三角兵舎で出撃までの数日間を過ごした。
ここで家族へ宛てた手紙や遺書を書き残した。特攻清和会館の横には当時の様子を再現した復元建築があり、中に入って見学することができる。
■レトロなホテルガストフ
遂に鹿児島にやってきた。あこがれの鹿児島である。ホテルガストフ。夕食なし朝食付き。大人2人1万2700円。楽天トラベルで予約。何の問題もなかった。
鹿児島中央駅に近く、買い物にも困らない利便性が高いホテル。設備が古いなどの不満もあるが、きれいに掃除がしてあり清潔。
それを上回って余りあるレトロな雰囲気を味わえるビジネスホテルだ。朝食もしっかりした内容で不満はなかった。
城山公園は、鹿児島市の中心部に位置する標高107mの丘陵公園。江戸時代には薩摩藩の城郭が置かれ、西郷隆盛や大久保利通など歴史上の人物ゆかりの地として知られている。
■鹿児島は西郷隆盛の生地
鹿児島は何と言っても西郷隆盛が生まれた土地である。明治新政府樹立など明治維新に最大の功績を残した人物だ。
突然辞めて鹿児島に帰郷。最後は西南戦争で新政府軍と戦い敗北した”国賊”だが、明治天皇も愛した不思議な魅力のある人物でもある。
写真の像(鹿児島市城山町4-36)は、没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、昭和12年(1937年)5月23日に完成したものだ。
わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8mの堂々たるモニュメント。本体5.76m、土台1.21m、築山7.27m。
■天守を作らなかった鹿児島城
西郷隆盛像を拝んでから右手の方向に歩いて行くと、ぶつかるのが鹿児島(鶴丸)城跡。鹿児島城は、慶長6年(1601年)頃に、のちに島津家第18代当主。初代藩主となる家久が建設に着手した島津家の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城である。
正面にあるのが威風堂々とした「御楼門」。御楼門は明治6年(1873年)に火災で焼失したが、2020年に日本最大の城門として復元された。
とにかく鹿児島市内の道路は広い。広い道路を市電を含め、自動車が縦横無尽に走っている。活発な大都市だ。人口も多い。
西郷隆盛像のほかにも天璋院篤姫や島津斉彬、島津忠義などの銅像が市内至る所に建っている。ほかにも東郷平八郎、小松帯刀、松方正義など歴史に名を残した人物の銅像が多い。
■夕食場所を探して1時間
鹿児島イチの繁華街は何と言っても天文館(てんもんかん)だという。夕食場所を探してぶらぶらしたが、なかなか適当な店が見つからない。
普通のレストランなら簡単なのだが、自分たちが食べたいものとなると意外と大変なのだ。それに私は偏食が多い。
鹿児島だと地鶏だが、鶏肉が食べられない。これまで50年以上食べていない。私にとってタブーなのだ。
1時間ほど歩いているうちにくたびれてしまった。それでも何かお腹に入れなければと思って入ったのがハンバーグ店。しかし客は最後までわれわれ2人だけだった。
びっくりするほど人通りが多い天文館通りであれだけひっそりとした店も少ないのではないか。地元の人はハンバーグを食べないのだろうか。
■「軽い羊羹」の「かるかん」
左右横立無数の路地が交差する天文館を歩いていて見つけたのが天文館薩摩蒸気屋「菓々子横丁」。
横丁感覚で通り抜けもできる奥行き50mほどの細長い店内には、おしいそうな和洋菓子がいっぱい。
その中で目に付いたのが「かるかん」(軽羹)。厳選した自然薯(山芋)と米粉と砂糖のみを使用。素材本来の風味としっとりとした独特な食感が楽しめる。
自然薯は長芋よりも数段粘りの強い山芋のことで、実を言えば兵庫県出身の私の大好物。これを創製したのが明石出身者だと知って驚いた。
■元祖は明石屋
薩摩藩主・島津斉彬が薩摩に招聘した明石屋の初代が現代の形の基となる「かるかん」を考案。これが評判となって薩摩銘菓として広まった。
明石屋菓子店本店(鹿児島市金生町)はそれゆえ「かるかん元祖」を名乗っている。いまやふんわり、やわらかな「かるかん」は鹿児島の定番土産になっているという。
かるかん元祖の明石屋は創業安政元年(1854年)。明石出身の創業者・明石六兵衛が薩摩藩主・島津斉彬に招かれ、地元の兵庫県明石市でとれる良質な山芋に着目して創製したと言われる。
















