そろばん侍「風の市兵衛」に惚れ込んでしまった時代小説ファンのささやかな楽しみ

 

全てが辻堂魁の「風の市兵衛」シリーズ

 

作品名:風の市兵衛シリーズ
作者:辻堂魁
出版社:祥伝社文庫

 

このところ辻堂魁(つじどう・かい)の長編時代小説「風の市兵衛」シリーズにすっかりはまっている。新型コロナウイルスへの感染拡大を防止するため外出をなるべく避けており、とにかく時間があり過ぎるのだ。この時間を何で過ごすか。結構問題である。

そうでなくても会社も既に退職し、基本はフリーランスの個人事業主だ。フリーランスも60代は経済的に苦しかったが、何とか乗り切ることができた。迎えたのが70代。70代はこれからである。お金をかけずに何とか充実した時間を過ごしたい。

となると、やはり読書である。自宅で読書している限り、一文もかからない。経済的である。出掛けないから交通費もかからない。出掛けて人とも会わないので交際費もゼロだ。何もかにもかからない。

特に時代小説は好きである。むしろ最近自宅で読むのは時代小説ばかりだ。藤沢周平、池波正太郎、鈴木英治をずっと読んできたが、この頃は上田秀人にも手を伸ばしている。さらに直近は辻堂魁にはまった。「風の市兵衛」シリーズは既に13冊読んだ。シリーズは多分あと8冊が残っている。楽しみは多いほどいい。

「唐木市兵衛は、年の頃なら35,6。瘦身白皙で、ちょっと頼りない雰囲気のある侍だ。職業は、渡り用人。旗本家などに雇われ、経理を中心とした家の面倒を、期限付きで見るのが仕事である。用人を置いていない旗本家が、わざわざ渡り用人を雇うには、何らかの切実な理由(主に金銭)がある場合である。それだけに渡り用人を主人公にすれば、バラエティーに富んだストーリーが創れそうだ。書き甲斐のある職業に、目を付けたものである」

『風の市兵衛』の第一巻の巻末解説「時代小説の新たな風」を書いた文芸評論家の細谷正充氏の唐木評である。

本書の魅力の1つは興趣に飛んだストーリーであり、2つ目はチャンバラ・シーンの迫力、3つ目は唐木市兵衛の人柄だ。特に3つ目は出色だ。「侍でありながら算盤に長け、渡り用人を仕事としている。おそるべき剣の達人でありながら、その腕前を誇ろうとはしない。年の離れた腹違いの義兄の片岡信正(公儀十人目付筆頭)に、風の剣の話題を持ち出されても、『所詮、言葉の綾です。心得、と言ったほどのものです』と否定する」(細谷氏)のである。

 

市兵衛は公儀十人目付筆頭支配役を務める片岡信正の15、年の離れた弟、幼名才蔵である。母・市枝は美しい女だったが、片岡の父に望まれ、父の側室になった。才蔵を生み、そして死んだ。才蔵は13才の時に何も言わないまま片岡家からいなくなり上方に行った。本人の述べるところによると、南都興福寺で18まですごした。その後は大坂の米問屋に3年、仲買い問屋に1年、灘の醸造業者の元に半年、河内の豪農に1年半奇遇いたし、算盤と上方商人の商法、経営、また酒造り、米作りを学んだという。

上方や全国各地を放浪し、3年目に江戸に戻ってきた市兵衛は兄・信正と出会った。江戸に来てなぜ家に戻ってこなかったと聞かれた市兵衛は「私は片岡才蔵ではなく、片岡家足軽の祖父・唐木忠左衛門の血を引く唐木市兵衛でございますので」と答える。

そして兄に「昔、上方に風の市兵衛という風の剣を使う若い侍がいる噂を耳にしたことがある。お前のことだと思っておった。風の剣とは、どういう剣だ」と聞かれる。

「戯れ言です。風の剣など、ありません。激しく強く斬れば斬るほど激しく強い風に打たれます。また、風は斬っても斬れません。だから己が風とともに動けば風に打たれぬし、斬られはせぬと。若いころ、そんな剣を極めようとしたことがあります。しかし風の剣とは、所詮、言葉の綾です。心得、と言ったほどのものです」と答えるのだった。

もっとも、「風の剣」と言っても所詮フィクションである。刀で人を斬るのは大変だと聞いたことがある。1人だけでも刃はボロボロになるという。それを何人もバタバタと斬るなんていうのはとてもできない。しかも市兵衛の刀は片岡家で足軽をしていた祖父・唐木忠左衛門から譲られた名も無い刀。そんなに名刀とは思えない。しかも、ずっと同じ刀を使い続けている。信じられない。しかし、そんなことはどうでもいい。問題は彼の人柄だ。

 

唐木市兵衛役を演じる向井理(NHK)

 

片岡信正役を演じる筒井道隆(NHK)

 

うかつにも「風の市兵衛」がNHKで放送されていたことを知らなかった。たまたま2020年1月に放送され見逃した正月時代劇『天空の鷹』をNHKオンデマンドを見て初めて知った。また2018年に5月から7月にかけて土曜時代ドラマとして『春の風』、『雷神』、『帰り舟』を各3回、合計9回放送されていた。見ていなかった。不覚も不覚である。

慌ててNHKオンデマンド(月額税込み990円)を契約し『天空の鷹』を視聴した。映像は活字のイマジネーションを大幅に上回る。いったん映像を見ると、その映像が付いて回るのが欠点だが、仕方ない。とにかく「見たい」に勝てなかった。

そろばん侍の唐木市兵衛は向井理(むかい・おさむ)が演じている。「年の頃なら35,6。瘦身白皙で、ちょっと頼りない雰囲気のある侍」という市兵衛と向井の持つ雰囲気が実によく合っている。年齢も38歳(1982年2月7日生まれ)、身長も182センチとばっちりだ。この顔を眺めていれば、自然とふんわかムードで、市兵衛の世界に入っていける。

「鬼しぶ」と綽名される男もいい味を出している。「渋井鬼三次という北町の廻り方だ。鬼しぶが市中取締りに現れれば、闇夜の鬼が渋い顔をするそうだ」という。この鬼しぶを演じるのは原田泰造だ。よくもまあピッタリの人間を探し出してくるものだとあきれるほどだ。

リアリティーはないと言えばない。乏しいというより、ない。どんなに危険な場面でも、最後は市兵衛が難問を解決してくれることが分かっているから安心して見ていられる。そんなことを読者はすっかり承知の上だ。それでも読み続けることを止められない作品を書き続けるというのは辻堂魁の才能なのだろう。

 

 

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