【北関東ドライブ】20年ぶりに訪れた「益子陶器市2022春」は様変わり=町中で見つける「暮らしの中の芸術品」

 

 

■益子陶器市は3年ぶり開催

 

ゴールデンウィークの最終日に遂に益子陶器市に行ってきた。最高10連休の人もあったが、わが家は前半は大阪からのお客さんを迎え、中盤は自宅でゴロゴロ、最終日の8日(日)の青天を待って車で2時間(135キロ)の栃木県益子町の陶器市に出掛けた。

今年のGWは晴れたり、降ったり、曇ったりと変化が激しかった。このところの天気は安定的とはとても言えず、暑かったり寒かったりを繰り返す。8日の栃木県はよく晴れたが、暑くてたまらないということでもなかった。新緑を楽しむのにはちょうど良かった。

2022年初の益子陶器市は今年で第105回目。4月29日から5月8日までGWを通じて行われた。陶器市は1966年(昭和41)から始まり、毎年春のGWと秋の11月3日前後に開催される。新型コロナウイルスの感染拡大で昨年と一昨年は中止で、今年は3年ぶりに開かれた。

メイン会場は1キロ弱の城内坂通りを挟んで両側の約50軒の販売店。ほかに町全体が行商都市のように約550の作家テントが立ち並んでいる。伝統的な益子焼から、カップや皿などの日用品などがところ狭しと並べられ、観光客(買い物客)は自分の趣味・嗜好に従って町内を回遊する仕組みだ。

焼物だけではなく、地元農産物や特産品の販売も行われ、春秋あわせて約60万人の人手があるという。益子陶器市にはこれまで一度来たことがあるが、2004年12月スタートの当ブログの記事を探しても見つからなかった。

日下田(ひげた)藍染工房や益子陶芸美術館、旧濱田邸は記憶している。益子焼窯元共販センターも覚えている。そのときは規模は小さいが同じく陶芸の町でもある茨城県笠間近くに居住する友人と一緒に来た。

 

 

■ナニワイバラにびっくり

 

朝7時半頃に自宅を出て9時半頃到着した。車を駐めたのが城内坂通りにある大誠窯(だいせいがま)。裏手の小山の奥に車を駐めて陶器市を散策した。取りあえず驚いたのが店先に植えてあったナニワイバラ(カメリアローズ)。バラ科バラ属のつる性植物だという。

中国南部が原産地。江戸時代、商業の中心地だった難波(なんば、現在の大阪)からの「下りもの」として全国に知られた。重量感のある一重の花を咲かせるナニワイバラは当時から注目されており、今でも人気のバラとなっているようだ。

風通しと日当たりによい環境を好む。プランター、地植えのどちらでも育てられる環境適応能力の高さが魅力だが、耐暑性には難があり、厳しい暑さの夏場には半日陰で育てることが必要だ。

 

 

びっくりするほど軽い盛り皿

 

■和食器はシンプルなのが一番

 

車を駐めた「大誠窯」から適当に店を見歩いていたが、知床窯益子ギャラリーの臨時店舗に入ったら、窯元の主人らしい人が入店客に熱心に話し掛けていた姿を見た。作家はむしろ寡黙なのが普通なので、違和感を感じた。話し掛けられているのは特別な客かなと思っていたら、そうではなく、作家は誰に対しても同じ対応を取っていた。私たちに対しても同じだった。

主人は、「私の焼いている皿は軽いのが最大の特徴だ」と言った。しかも料理を乗せて皿を出すと、皿の存在が消え料理が浮かび立つのだともいう。

食器の横にある雑誌の記事が置かれていた。「和食器を使うプロの料理人である東京・日本橋の大根(おおね)さんに『和食器の選び方』を聞いたところ、『和食器はやはりシンプルなほうが映える』と答えている内容だった。

「一言でいうとそれに尽きますね。料理と食器、互いがあまり主張し合ってしまうと、ガチャガチャしてうるさくなってしまう。だから食器は料理を生かすような、シンプルで上質なものを選びたいです。そういうものはある程度値段も張りますが、使えばそれだけの価値のあるものだと思います」

その下に主人と思われる手書きの一文が書かれていた。「とてもシンプルですが、料理を盛ったとたんに表情が変わる器。和食にも洋食にもよく合います」とあった。

この主人は本田剛嗣(たけし)氏。立て看に貼られた名刺によると、本田氏は「粉引き(こひき)の本格派」らしい。1954年北海道・知床生まれ。号は知床仙人。(1926年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された)民芸運動の理論に傾倒し陶芸の研究に入り、1991年に知床に知床窯を開き、2007年からは栃木県益子町で作陶している。

息子の本田圭一氏は1978年、知床生まれ。1999年、父親の下で陶芸の研修を開始。2010年、知床窯と益子を引き継ぎ、以降知床と益子を拠点に活動中。

陶器市は益子焼一色だと思っていたら、最初に目に止まったのが知床窯だった。益子には知床窯益子ギャラリー(城内坂)を常設しており、作家自身が熱心に陶器について語っていたのは珍しくもあり新鮮でほっこりさも感じた。

丹波焼き公式のセレクトオンラインショップ「丹波のイロドリ」サイトによると、「粉引(こひき)とは、朝鮮からから日本に伝わった陶器で、粉吹(こふき)ともいうそうです。由来は「粉を引いた(吹いた)ように白い」といわれたことからだとか。素地に白い泥をかけ、さらにその上から透明釉をかけます。粉引は、吸水性があり、水じみが起こりやすい陶器」だとか。

益子焼鑑賞のポイントは「暮らしの中の芸術品」である。

 

滅びゆく運命にある?染織りの「藍」

 

■かつては庶民の衣料の8割を占めた藍染め

 

ぶらぶら歩いていくと、藍の道と城内坂通りが交差するところにあるのが栃木県有形文化財指定の「日下田(ひげた)藍染(あいぞめ)工房」。8代目の日下田博氏と息子の9代目・日下田正氏の2人も同県無形文化財に指定されている。

かつては庶民の衣料の8割が藍染めだった。この日本の伝統的な藍染め、草木染めの手法を守り伝えて200年。藍は「ジャパン・ブルー」と呼ばれ、その色や染法は世界でも高い評価を得ている。

また、藍染め文化に大きく関わる木綿の伝統も守るべく、綿の栽培や糸作り、糸染め、手織りにも取り組んでいる。今の化学染料で染めるよりも複雑で、より技術的でもあった藍染め(藍色を出す)や紅染(紅色を作る)、紫染(紫色を染める)、茜染(茜色を染める)などさまざまだ。

 

藍染め・草木染め

 

藍染めが広く浸透したのは色が美しく、丈夫だったことに加え、染めることによって品物が5割あるいはそれ以上に丈夫になったことなどが理由と考えられる。

しかし、このすばらしい染法も近代になって化学染料の発達と機械による大量生産という生産手段の変化などによって段々と行われなくなってきているのも確か。あまりに複雑な染法と原料である藍が高価であることが相まって、藍染めはやがては滅び行く運命になるのではないだろうかと日下田父子は受け止めているようだ。

ただ日下田父子は、東洋に生まれ東洋に育った色、世界中に広まった藍について、「私たちはこの祖先の遺産である藍色を私たちの子孫に残し、伝えていく義務と責任を感じている」と決意を固めており、県も存続方針を示しており、滅びるとしてもまだ先のことと思われる。

 

旧濱田庄司邸(陶芸メッセ益子内)

 

■大きい濱田庄司氏の存在感

 

公益財団法人「濱田庄司記念益子参考館」によると、濱田庄司氏(1894~1978)は、近現代の日本を代表する陶芸家の1人。1894年に東京で生まれ、東京府立一中時代に陶芸家の道を志した。東京高等工業学校窯業科から京都の陶磁器試験場に入所し、この間に終生の友・河井寛次郎を得た。

濱田は自身の作家活動の軌跡を「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と振り返っているように、大正半ばにバーナード・リーチとともに渡英し、英国で陶芸家としての活動をスタートさせている。

帰国後は、田舎での生活を望み、1924年に益子に移住した。この時期には沖縄にも長期滞在し、多くの作品を残している。1930年に母家となる建物(陶芸メッセ)を移築し、その後1942年までの間、多くの古民家を邸内に移築し、自身の生活と作陶の場とした。

またこの間に、柳宗悦や河井寛次郎らと民芸運動を創始、日本の工芸界に大きな影響を与えた。1955年には第1回重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定され、1968年には陶芸家として3人目となる文化勲章を受けている。

益子町観光協会によると、益子焼は江戸時代末期、笠間で修行していた大塚啓三郎が窯を開いたことに始まる。以来、優れた陶土を産出すること、大市場東京が近いことから、鉢、水がめ、土瓶など日用道具の産地として発展を遂げた。

濱田庄司という1人の作家が現在の益子町を育てたと言ってもおかしくないほどの隆盛振り示している。窯元は約250,陶器店は50。若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、作風は多種多様だ。

 

黑釉(くろゆう)

 

飴釉(あめゆう)

 

糠青磁釉(ぬかせいじゆう)

 

昭和初期の火鉢(黒釉抜き文)

 

大正期の火鉢(飴釉虎文)

 

■ザ益子焼の陳列品

 

益子焼窯元共販センターの裏手にあるのが益子陶芸美術館や陶芸メッセ・益子、旧濱田庄司邸だ。陶芸美術館の前の道を旧濱田邸に向かうところに益子焼の作品が展示してあった。いずれも大型の古い立派なものだった。これぞ「ザ益子焼」だった。

「とちぎふるさと学習」サイトによると、釉薬は「うわぐすり」とも呼ばれている。灰などの原料を水に溶かしたもので、その分量や製法は様々だ。伝統的な釉薬は、データとしてまとめられ、保管されている。

益子焼の代表的な釉薬としては以下の5種類が挙げられている。釉薬は焼くとガラス質に変わるため、水に強くなり、美しいツヤが出る。

・柿釉(かきゆう)=芦沼石(あしぬまいし)の粉末だけを原料としている。焼くと、落ち着いた渋い茶色になる。

・糠白釉(ぬかじろゆう)=籾殻(もみがら)を焼いた灰から作る。焼くと、白色になる。

・青磁釉(せいじゆう)=糠白釉に銅を加えて作る。焼くと、深みのある美しい青色になる。

・並白釉薬(なみじろゆう)=大谷津砂(おおやつさ)、石灰が主成分で、焼くと透明になる。

・本黒釉(ほんぐろゆう)=鉄分を多く含む。焼くと黒色になる。

 

共販センター

 

赤絵作品

 

■共販センターでゲットした赤絵作品

 

どうやらここが益子陶芸陶器市のメイン会場のようである。約400軒弱といわれる益子焼窯元のうち、7割ほどの窯元の作品を展示販売している益子最大の販売所。全長10m弱の大タヌキが目印だ。

敷地内には6つの売店があり、手頃なものから有名作家名の作品まで購入できる。また陶芸教室などもあり、手軽に作陶や絵付けの体験ができる。

周辺のテントでは最終日とあってあちこちで掘り出し物が出ていた。新店舗を開く人たちが皿を物色している姿が目立った。

共販センターでゲットしたのは赤絵作品。もともと明代の中国・景徳鎮で盛んになった赤の釉薬を中心に彩色した陶磁器で、五彩とも言う。日本では豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に連れてこられた朝鮮人陶工によって日本各地に窯が開かれ、有田焼(佐賀県)、九谷焼(石川県)などで盛んに作られた。

 

益子焼ふくしまで見つけた織部焼

 

■織部の湯飲み

 

湯飲み茶碗として求めたのがこの織部焼。千利休の弟子であった戦国茶人・古田織部の指導によって始められたといわれている。古田織部は南蛮貿易によってもたらされた交趾焼(華南三彩)という鮮やかな緑色をした陶器にインスピレーションを受け、織部焼の生産を始めた。

古田織部は豊臣方への内通の疑いをかけられて1615年に切腹したことで織部焼は衰退していったものの、織部焼が持つ自由で斬新なスタイルは「オリベイズム」として現代の芸術にも引き継がれている。

織部焼とは桃山時代の頃、主に美濃地方で焼かれた陶器。志野焼や黄瀬戸とともに「美濃焼」と呼ばれることもあるという。織部焼の文様は同じものが1つとしてなく個性を重視する姿勢で作られている。

織部焼の最大の特徴は色にある。濃くのある暗綠色をしており、その味わい深い色が当時の人々を魅了した。織部焼は視覚、触覚でも味わえる陶器かもしれない。

これまでにも湯飲み茶碗として2個くらい織部焼を使っていたが、どちらも割って使えなくなっていた。今回3個目の織部が私の手元にやってきたわけだが、いつまで自分の物であり続けるのか分からない。

 

大誠窯(だいせいがま)

 

登り窯を炊き続ける焼成作業は3日3晩(約72時間)続くという

 

大誠窯で買った益子で伝統的なお皿

 

■深みが出る登り窯を使う大誠窯

 

午後4時すぎにようやく戻ってきたのは「大誠窯」。車を駐めるのに時間をとられ、そんなにしっかり見ていなかったことに気付いた。しかも店内をのぞくと登り窯もあるし、作品も多い。他の店とかなり違うのだ。倉庫もざまざまな作品がびっしりと展示されている。

「大誠窯(だいせいがま、城内坂92)は約150年前の開窯以来、代々登り窯のみを使い続けてきました。現在使用される中では益子最大規模となる登り窯です。燃料には赤松を使用し、柿釉を中心に糠白釉、黒釉、飴釉、糠青磁釉といった益子伝統の釉を使用。益子焼本来の素朴さの中に秘める力強さ、温もりをもった焼き物作りをしています」(益子焼伝統工芸士・7代目大塚邦紀)

大誠窯の作品はどうも他店とひと味違うのだ。お店の人にそのことを聞くと、「うちは登り窯しか使っていないので色にも深みが出るのではないか」と言う。

現在、焼き物の多くは電気窯やガス釜で焼く。微調整が容易で安定して焼け、かつ設置・維持コストが安いことがその理由だ。しかしそれまでは窯と言ったら登り窯やあな窯などの「薪(主に松の木)を使って焼く窯」のことを指していた。

登り窯は①燃料は薪であり確保が難しい②燃焼が難しく結果が不安定である③作品に灰が降りかかるため、それが景色となったり失敗となったりする④大量の煙を排出するため周辺住民に迷惑がかかる場合があるーなどの欠点もある。

しかし半面、登り窯を使っているゆえに薪窯ならではの「風合い」も出て、作品に意外な面白さもあるといわれる。「薪を投げ入れ、炎をコントロールし、窯を操って作品を焼き上げる」。おそるおそる結果を知るのもまた良いではないか。

 

山羊が出迎える大誠窯

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