『影法師』
書名:「影法師」(The Shadow)
著者:百田尚樹(ひゃくた・なおき)
出版社:講談社(2010年5月20日第1刷発行)
1956年大阪生まれ。同志社大学法学部在学中から「ラブアタック」(ABC)に出演し、常連だったが、5年目で中退。その後、放送作家となり、「探偵!ナイトスクープ」のチーフライターを25年にわたって務めたほか、「大発見!恐怖の法則」などの番組の多数を手掛けた。
2006年、特攻隊のゼロ戦乗りを描いた『永遠の0』で作家デビュー。高校ボクシングの世界を舞台にした青春小説『ボックス』が圧倒的な支持を集め、2010年に映画公開。13年には『海賊とよばれた男』で本屋大賞を受賞。同年9月から『フォルツゥナの瞳』の週刊誌連載を開始した。
『影法師』は小説現代2009年8月号~10年4月号に連載されたものを加筆した。『海賊とよばれた男』を読んだが、それまでは周辺的なニュースで知るくらいだった。
百田氏が時代物を書くのは珍しいと思いながら何気なく読んだが、放送作家としての長いキャリアを思えば、物語の引き出しはたくさんあったのだろう。
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茅島藩(かやしまはん)8万石の筆頭国家老に抜擢されたばかりの名倉彰蔵(なくらしょうぞう)は、小柄ながらがっちりとした体躯を持ち、精悍な顔立ちは50歳には見えない。
長らく江戸家老を務めていた彰蔵が国元に戻ったのは立夏を過ぎた頃だった。三月前、突然、筆頭家老を拝命したのだ。彰蔵が国の土を踏むのは20余年ぶりだった。
彰蔵は夕立が上がったばかりの庭から涼しい風が入ってくる元中老の屋敷に手を入れた家の濡れ縁で、探索を命じていた若党の富樫九郎右衛門から報告を受けていた。
「磯貝彦四郎殿は亡くなっておられました」
「磯貝殿は名を本田五郎と変え、浦尾に住まわれていたそうですが、2年前の冬に亡くなったということです」「労咳(ろうがい)であったそうです。供養をした寺の住職にも会い、卒塔婆も確認いたしました」
磯貝彦四郎は20余年前、ある不始末により藩を逐電した男だった。「とよと申す流れ者の飯炊き女と暮らしていたようですが、女は磯貝殿の死後、刀や着物などを売って、いずこかへ立ち去ったそうです。行方はわかりませんでした」
彰蔵の脳裏には彦四郎の姿が浮かんだ。肺を病み、自暴自棄になって、素性のわからぬ飯炊き女と暮らす50男のすさんだ生活が見えるようだった。
「磯貝彦四郎は若い時は大層すぐれた人物であったと申す者が何人もおりました。学問も良くしたとのことでございます」と九郎右衛門は言った。
「学問だけではない。彦四郎は剣も藩内で敵うものがない男だった。しかし、最もすぐれたところはその人物だった」
彰蔵は呟くように言った。
「磯貝彦四郎は、儂の竹馬の友であった」
彰蔵は初めて彦四郎に会ったことを思い出した。40数年前のその日は彰蔵にとって、生涯忘れることのない日だった。
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茅島藩では藩士といえども、上士と中士と下士には厳然たる身分差がある。下士が上士と城下ですれ違う時は、草履を脱ぎ、道の脇で跪かなくてはならない。彰蔵の父、千兵衛は御徒組の下士だった。
、戸田勘一と名乗っていた彰蔵が父の千兵衛と妹の千江とともに猿木川での釣りから戻り、城下にさしかかった時は夕方近かった。
そこに2人の中間を連れた上士が通りかかった。千兵衛は千江をそばに呼び寄せた。そして自分は道の脇に土下座した。勘一も魚籠を置き、父に倣った。しかし、千江は道に座るのを躊躇った。前日の雨でぬかるんだ道に座って、新しい晴れ着が泥で汚れるのを気にしたのだ。父は懐から手拭いを取り出して道に敷き、目で千江に座るようにうながした。千江は手拭いの上に座った。
上士の一行は千兵衛の前までやってくると、そこで足をとめた。「敷物の上に土下座する法はなかろう」
千江は目を閉じて口を結んだが、閉じた目から涙がぼろぼろとこぼれた。
「それでも侍か」勘一は思わず怒鳴った。「恥を知れ」
「年端のゆかぬ者ゆえ、ご無礼は何卒ご容赦を賜りたく-」
上士はみなまで言わせず、「ならぬわっ」と一喝した。その顔は怒りで真っ赤になっていた。
「子どもであろうと武士じゃ。上士を罵倒したからにはそれなりの覚悟があろう」そう言うと、上士は刀を抜いた。武士が一旦、刀を抜けば、ただでおさまるものではない。相手を仕留めるか、それ相応の傷を負わさなければ、士道に悖るということでお咎めがあるのは必定だった。
勘一は死を覚悟した。「存分に」
千兵衛はやわらに立ち上がると、刀を抜いた。「貴様っ」と上士は怒鳴った。「上士に向かって刀を抜くか。控えろ」
「子どもを見殺しにする親など、おらぬわ」千兵衛はそう叫ぶと、踏み込んで刀を振るった。上士は腕を切られて、刀を落とした。
上士は悲鳴をあげて逃げた。千兵衛は追おうとしたが、不自由な足が泥に取られて滑った。起き上がろうとしたところを、腹を中間に槍で突かれた。勘一は俯せになった父の背中から槍の穂先が飛び出している光景を茫然と見ていた。もう1人の中間が脇差しを抜いて、父の首を掻き切ろうとしていた。
気が付くと、勘一は見知らぬ屋敷の前庭に立っていた。陽はすっかり落ち、あたりは暗かった。玄関に通じる石畳のすぐ横に、戸板に乗せられた父の遺骸が横たえられていた。
1人の中年の武士が勘一のそばにやってきた。「家人に家まで送らせよう」との声を聞いて、勘一ははっと我に返った。
涙が込み上げ、勘一はしゃくりあげた。武士が後ろから勘一の両肩にそっと大きな手を置いた。その時だった。
「泣くなっ」と怒鳴る者がいた。正面に勘一と同じ年格好の少年が立っていた。その少年は勘一の前まで歩み寄ると、仁王立ちして言った。
「武士の子が泣くものではない」勘一はその気迫に呑まれれて泣くのをやめた。
「お前の父を切ったのは伊川桃蔵配下の者。お前が敵討ちするなら、助太刀する」
それが勘一と磯貝彦四郎との出会いだった。