光が丘「大盛軒」33年の営業に幕、リニューアルオープン後は惣菜店として新たな一歩

 

 

閉店案内が出た大盛軒

 

東京ラーメン大盛軒

 

厨房には12人がいつも働いていた

 

■光が丘IMAと歩んだ33年、「大盛軒」閉店

 

光が丘IMAがリニューアルするのにつれて店仕舞いする店が明らかになっているが、その中の1つに専門店街の中で最も繁盛している店と思われる「大盛軒」(たいせいけん)が含まれていることに、光が丘住民の中には一種悲鳴に似た声が聞こえてくる。大盛軒はずいぶん愛されているのだろう。

東京都練馬区の複合型ショッピングセンター「光が丘IMA」(運営・管理を行っているのは新都市ライフホールディングス)の中央館がオープンしたのは1987年(昭和62年)。92年(平成4年)には東館と南館も開業し全面完成した。

光が丘には過去33年間にさまざまな店が入退店しているが、当初から残っている1つが大盛軒だ。87年の中央館開業と同時に出店した。正確に言うと、84年(昭和59年)に光が丘中央商店街に出店し、87年(同62年)に光が丘IMA専門店に移転した。

光が丘IMAは2008年(平成20年)、リニューアルオープンしたが、その時もずっと営業を続けた。しかし、今回は店内に客を入れて食べさせる大盛軒は店を閉じるが、どうやら持ち帰り専門の惣菜店「餃子屋大盛軒」としてはリニューアル後の12月以降も営業は続けるのだという。「苦渋の決断」らしいが、理由は分からない。

今の店の壁に「光が丘で30年以上にわたりご愛顧をいただいています」と書かれている。正直言ってそんなにびっくりするほどの店ではない普通の中華店だが、なくなると非常に困る。そういう店だった。

 

 

普通の味噌ラーメンをいただく(14日)

 

家人のいただいた担々麺(14日)

 

食べたチャーハンと東京ラーメン(半)セット(17日)

 

食べた餃子のもちもち感がたまらない(17日)

 

■侮れない名店

 

7月19日(日)で閉店するということになってやはりあの味をしっかり舌にこびりつかせておきたくなった。今週は14日(火)と17日(金)の2回行った。考えてみれば、こんな思いをして行ったのは他にはない。大盛軒が初めてだ。

しかも私だけではない。家内もほぼ同年代だが、高齢者ばかりではない。若い人も多い。子ども連れも少なくない。中年も目立っている。すなわち誰も彼もが来ている。みんながそれなりに評価をしている不思議な店である。

「侮れない名店」なのかもしれない。口コミをのぞいてみると、「光が丘IMAの地下に長らく店を構えるラーメン屋さんです。たまに無性に食べたくなるサンラータン麺は美味しい。餃子とセットで大満足!かなり混むので食事時は覚悟が必要」とあった。

光が丘IMAのフードコートの中に入っている。自分の席を確保してから食券を買うセルフスタイル。水も自分で汲む。氷入りの水である。席に座って10分ほど待つ。「52番さ~ん」って呼ばれる。呼ばれると取りに行く。あとは黙々と食べるだけである。これがうまいのである。

昭和の味です。最近ではさまざまなラーメンがあるが、ここは鶏ガラ醤油と中太の縮れ麺の典型的な東京ラーメン。よそではなかなか食べられない。

 

■東中野の「おおもりけん」は姉妹店

 

光が丘は「たいせいけん」だが、同じ東中野に同じ字を書いて「おおもりけん」と呼ばれる有名店がある。姉妹店だそうだ。こちらは「鉄板麺」が中心だという。まだ行ったことがない。一度行ってみる必要がありそうだ。

東中野店の写真を見ていると、ラーメンなんか光が丘店とそっくりだ。しかし、光が丘店がラーメン、餃子など中華の王道がメーンメニューなのに対し、こちらは鉄皿に盛られた肉野菜炒めの定食にラーメンが付く「鉄板麺」が店の売りのようだ。

御飯、鉄板焼き、ラーメン。この三位一体で食べる組み合わせがたまらないそうな。鉄板焼きは肉とキャベツを鉄板で焼いてある。それにガーリックチップをかけて卵を入れる。この卵の入れ方も難しいが、卵を置く場所もきちんと指定してある。

ここのラーメンには海苔しか入っていない。なぜそうなのか。それは鉄板焼きが付いているからだという。三位一体でいただくのが正しい食べ方のようである。

これらは口コミを見ながら書いたが、やはり本物を食べてみる必要がありそうだ。「たいせいけん」とどう違うのか、しっかり確認しておきたい。

 

大勝軒(東池袋)

 

■東池袋「大勝軒」で修行して

 

誰から聞いたのか忘れたが、「大勝軒」で修行を積んだ若者が独立し、江古田に店を開いた。しかし、どういう事情か東中野の大盛軒に通った。そこでも親父とけんかし、その当時街開きが始まった光が丘に移転した。

大勝軒は山岸一雄氏が始めた店で、今や全国に200店舗ほどもある。2010年に行ったときも店の前に椅子を出して座っていた。「特に仕事はないんだ。朝、店に来て、味を見て、それからはここに座っている」と言っていた。

「弟子が本店が欲しいというからここに座っている。風邪なんか引かない。むしろ元気だよ」と話した。元祖・つけ麺のもりそばを食べた。スープにはチャーシュー1枚、メンマ3枚、ゆで卵半個、海苔1枚が入っている。スープは多少甘め。それに麺を付けて食べる。

昭和36年(1961年)に東池袋に店を出し、再開発事業で鉄道高架下に越してきた。59年目の今もはやっている。

 

 

 

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