【名画座】恋人に会うため、自身がアート作品になった男の数奇な運命を描いた『皮膚を売った男』

『皮膚を売った男』(パンフレットから)

 

テーマ:『皮膚を売った男』(The Man Who Sold His Skin)
監督・脚本:カウテール・ベン・ハニア(チュニジア出身)
キャスト:サム・アリ(ヤヤ・マヘイニ)=皮膚を売った男
アビール(ディア・リアン)=恋人
ジェフリー・ゴドフロワ(ケーン・デ・ボーウ)=芸術家
ソラヤ・ウォルディ(モニカ・ベルッチ)=美術品のエージェント
2020年/チュニジア・フランス・ベルギー・スウェーデン・ドイツ・カタール・サウジアラビア
2021年日本公開作品
2022年4月27日@ギンレイホール

 

■自分が「アート作品」になることでEUとの行き来が自由に

 

シリア難民のサムは、偶然出会った芸術家から、大金と自由を手に入れる代わりに背中をキャンバスとして提供しタトゥーを施し、彼自身が”アート作品”になることの提案を受ける。

難民であるサムの背中にタトゥーを入れ、彼が”アート作品”になれば、難民が欲しがる「シェンゲン査証(ビザ)」を得られるという。そのタトゥーもビザを見立てたもので、背中にはくっきりと「VISA」の文字が浮かび上がる。作品になることでサムは「人」ではなくて「モノ」としてEU内を移動する権利を獲得できることになる。

シェンゲンビザは、シェンゲン協定加盟26カ国に90日以内の短期滞在で入国する場合に必要となるビザ。ヨーロッパの国家間で国境検査なしで国境を越えることを許可する協定で、1985年6月14日にシェンゲン(ルクセンブルク)で署名され、1995年3月26日に発効した

当初の署名国はベルギー、フランス、西ドイツ、ルクセンブルク、オランダの5カ国。現在はEUの大半の国が締約している。協定署名に消極的だった英国やアイルランドは参加を見送っている。

時代はアフリカ北部やシリアなどから不法移民がヨーロッパに渡航しようとしている。ビザが簡単に手に入らない状況下ではサムにとっては願ってもない話だった。しかし思いも寄らない事態が次から次へと巻き起こり、サムは次第に精神的に追い詰められていく。世界中から注目されるサムを待ち受ける運命とは何か。

 

■2020年の東京映画祭でも上映

 

キャストには普段はシリアで弁護士として働いており、ほとんど演技経験のないヤヤ・マヘイニがサム役を演じ映画初出演にして主演を務めた。恋人アビール役はフランスで舞台女優として活躍しているディア・リアン。長編映画出演は本作が初めて。

亡命先のベイルートで美術品の展示会の主催者を務めるエージェント(ソラヤ・ウォルデイ)役はイタリア出身のモニカ・ベルッチが演じた。フランシス・フォード・コッポラ監督の『ドラキュラ』でハリウッド進出を果たし、ボンドガールにも起用されるなど活躍が目立っている。

また本作は芸術家ヴィム・デルボアが2006年に発表した作品『Tim』に影響を受けており、種々撮影協力やアドバイスを提供していたが、彼は保険業者役(ヴィム・デルボア)で出演している。

第93回アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート、第77回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門男優賞受賞のほか、世界の映画祭で話題を呼んだ。2020年の東京映画祭でも上映され、21年に劇場公開された。

 

■『Tim』はそびえ立つ1本の”木”

 

働く女性に寄り添うWebマガジンを標榜するカルチャー系サイトWezzy(ウエジー、2021年11月12日)によると、『皮膚を売った男』はベルギー人のコンセプチュアル・アーティスト、ヴィム・デルボアが2006年に発表し人間の背中にタトゥーを施した作品『Tim』が基になっている。

コンセプチュアル・アートとは絵画や彫刻といった形態をとらなくても、構想や考えだけでも芸術とみなすもので、概念芸術とも呼ぶ。1960年代から70年代にかけて現れた前衛芸術ムーブメントだ。

デルボアはスイス人のティム・スタイナーの背中に聖母マリアや髑髏のタトゥーを彫り、ティムに料金を支払う代わりに年に数回ギャラリーでタトゥーの入った背中を見せてじっとしていること、死後にはタトゥーの入った皮膚を外科的には除去して展示することに同意させた。

デルボアの『Tim』は世界中で賛否両論を巻き起こし、2008年には15万ユーロ(約1990万円)でドイツ人アートコレクターに買い取られている。

パンフレット所載のインタビュー記事の中で、カウテール・ベン・ハニア監督は、『皮膚を売った男』はどのようにして生まれたのかと聞かれ、「2012年にアイデアが生まれました。パリのルーヴル美術館で『Tim』を見掛けて、その超越的で異常な姿が頭から離れませんでした。私の心にともった小さな火は、他の経験を踏まえながら少しずつ大きなものになっていきました。全ての要素が揃った時にはもう書かずにはいられませんでしたね」と語った。

『Tim』にショックを受け非常に刺激的である種の興奮を覚えたハニア監督は此花氏とのインタビューで「『Tim』はそびえ立つ1本の”木”のようで、ずっと私の心から離れませんでした。そのときは映画にしようとは全く思ってはいなかったんですが、私の心の中でその木がどんどん育っていき、『これがアートの力だ』と確信したんです」

「なぜ、自分はこのアートに引き込まれるのか。その『なぜ』を掘り下げていくことは、『自分が世界をどう見ているのか』につながる。『Tim』のアートの力に気付いたときには私はこの話を映画化しようと思いました」

 

■「現代アート」VS「シリア難民」2つの対極的な世界を対比

 

ハニア監督は『Tim』をシリア難民の設定にしたのはなぜかウエジーの中で映画ライターの此花わか氏に尋ねられ、「この映画は現代アートとシリア難民という2つの対極的な世界を題材にしています。現代アートは”自由”を大切にするエリート主義の世界、難民は”選択のない”世界」だと答えている。

「難民たちは選択のない世界で少しでも間違った選択をすると、命を落としてしまう。この2つの世界を対比させることで、”自由”について考える映画にしたかったんです」という。

地理的・歴史的問題のせいで、現代は”恵まれた人たち”と”呪われた人たち”の2種類の人間が生まれている。平等や人権が世界で歌われているにもかかわらず、生まれる側が違うだけで人生が決まるのだ。

同監督は「ファウストが悪魔と契約を交わしたように、”呪われたサム”が”恵まれた”ジェフリーと契約を結び、サムはエリートに囲まれた現代アートの世界に入る。そこで彼はあちこちで売られ、むき出しにされ、振り回される」と指摘する。

「恵まれた世界でモノとして扱われて、自由を手に入れたと思ったサムは自分に自由がないことに気付く。そして、彼は自分の自由と尊厳を取り戻そうとする」

 

■アート市場はエリートに独占されている

 

一方、ハニア監督は現代アートの世界について、此花氏の質問に対し「アートの市場システムは油断ならないというか・・・。アートを神聖なもの、アートを心の糧だと思っている人がいる一方、アート市場はエリートに独占されている」と指摘した。

その上で、「アートの運命が市場に委ねられているのはどうかと思いますね。アートは私たちの視野を広げるものであり、皆のものであるべき。世界で最も苦しんでいる人々に幸せを与えるべきなのに、現実は美術館、美術評論家や投資家などエリートに幸せを与えるものになっています」と強調した。

一般人の理解を超越した存在と化し、「現代アートは一般人には理解し難いものになってしまいました。現代アートの世界はすごく怪しいものになってしまったと思う」と語っている。

 

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