【ドライブ】浅間山の火口で鬼が暴れ岩を押し出した「鬼押出し園」を散策する秋の好日
■浅間山の噴火警戒レベルは1
浅間山(標高2568m)には大学時代に一度行ったことがある。民宿に泊まり、サークル活動の一環で登った。それが何と下駄を履いた登山だった。今から考えるとどうしようもない話だが、とにかく若かった。若かったし、何も知らなかった。
登っていたら途中で天が一転かき曇り、今にも大粒の雨が降りそうになった。そのまま雨に打たれていたら生きて生還できなかったかもしれない。50年ほど前のことだから、無事に済んだことだけは確かだ。こうして生きている。
浅間山は活火山である。最近100年間だけでも50回以上噴火を繰り返している。火山灰や噴石、小規模な火砕流などが発生している。2004年には中噴火している。
「鬼押し出し」の名前が付いたのは1783年(天明3年)の噴火のためだ。「火口で鬼が暴れ岩を押し出した」と当時の人々が見た印象をこう表現した。半径4キロ周辺を噴火した溶岩があちこちに散らばり、溶岩の芸術を示している。
1~5の噴火警戒レベルのうち現在は1。「火口から500mの範囲に影響を及ぼす程度のごく小規模な噴火の可能性があるので、地元自治体の指示に従って危険な地域には立ち入らないように」と注意を促している。
■浅間火山博物館は閉館
「鬼押出し園」(群馬県吾妻郡妻恋村鎌原1053)は公園になっている。膨大な量の溶岩が風化した結果、奇勝地を形成している。ウィキペディアによると、「鬼押出し園」を経営しているのは株式会社プリンスホテル。
園内には東京上野の寛永寺の別院である浅間山観音堂が設置されている。浅間山噴火の犠牲者を弔うのが目的で、1958年に勧請された。
長野県北佐久郡軽井沢町から群馬県妻恋村鎌原に至る一般自動車道「鬼押ハイウェー」もプリンスホテルが管理運営を行っている。
西武グループの母体となった箱根土地(のち「国土開発」を経て「コクド」)創業者の堤康次郎が1919年にこの一帯を訪れ、既にリゾート地として知られていた軽井沢に比較的近い立地を活かして観光開発を推進。1951年7月1日、現在の「鬼押出し園」として営業を開始した。
ところでずっと気になっていたのが鬼押ハイウェーの途中からちょろちょろ見えていた「浅間火山博物館」(群馬県長野原町営浅間園内)。鬼押出し園を散策するのもいいが、きちんと火山の噴火を捉えてみたいとも思っていたからだ。博物館なら手頃だ。
今回も結局行けなかったが、この「鬼押出し園」と同じ妻恋村にある「浅間火山博物館」は2021年3月末で閉館していた。入館者の減少や、施設老朽化に伴う維持費が課題になっていたと地元紙の上毛新聞は報じている。現在は新型コロナウイルス感染防止対策で休館しており、再開することなく幕を閉じたことになる。
同紙によると、博物館は1993年に開館。地底が疑似体験できる設備や映像で火山の仕組みを紹介したり、触れる溶岩を展示したりしている。ピークの94年度は26万5000人が来場したが、浅間山の噴火でたびたび休園になったことほか、観光客が低迷し、新型コロナが追い打ちをかけた。
博物館の展示物の一部は同園内にある二輪車展示施設「浅間記念館」に移し、浅間山の「ビジターセンター」として活かすという。
■高原植物
■黒斑山と合わせて見ると「寝観音」の姿に!
私はそれまで浅間山(2568m)をそれだけで眺めていたが、周囲の外輪山と合わせて眺めるという視点もあることを知った。その視点に立てば、西側にそびえる黒斑山(2405m)と合わせて見ることが可能となる。
見る方角にもよるが、寝観音(寝釈迦)に見れることもある。右にそびえる黒斑山が観音様の顔、左の浅間山はお腹だという。そうして眺めていると、何となく巨大な観音様が天を仰いでいる姿に見えてきた。
松村佐保氏がトラベルjpに『迫力抜群!鬼押出し園すぐ横から望む「寝観音」』で撮影している写真を参考にするとよくわかる。
軽井沢の友人の別荘の庭からも浅間山を見ることができる。軽井沢町は長野県に属する一方、浅間山は群馬県だ。しかし軽井沢町民憲章は「わたしたちは、雄大な浅間山にいだかれた高原の町軽井沢の町民です」とうたっている。
浅間山は長野、群馬の県境に位置し、群馬県嬬恋村にとってと同様、長野県軽井沢町にとっても町のシンボルだ。そのシンボルを自宅の庭からいつも眺めることができるのはすばらしい。