藻谷VS斎藤が「脱成長」を考える、ジャッジは山極氏か養老氏か=ケンモリオンライン講演会

 

 

山極j壽一氏

 

「日本に健全な森をつくり直す委員会」主催のオンライン講演会が9月11日、モンベル品川店2階(東京都港区高輪4)で開かれ、同委員会委員長の解剖学者・養老孟司氏(84)、日本総合研究所主席研究員で同委員の藻谷浩介氏(57)、同委員で総合地球環境学研究所所長の山極壽一氏(69)、同委員で大阪市立大学大学院准教授の斎藤幸平氏(34)が参加した。

藻谷氏は2013年にベストセラーとなった『里山資本主義』で名をはせた経済学者。資本主義を幾分なりとも擁護する視点を持っている。一方斎藤氏は人類の経済活動が地球を破壊する『人新世の「資本論」』(集英社新書)で2021年新書大賞を受賞。「脱成長コミュニズム」を主張する経済思想家。山極氏は京大のゴリラ博士だ。養老氏は400万部を超えるベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)の著者で解剖学者。

ケンモリ講演会のテーマは『私たちは子どもたちのために”ちがう日本”をつくれるのか?「脱成長」を考えてみる』。斎藤幸平氏の主張を軸に討論が始まった。藻谷氏と斎藤氏の対論を中心に展開した結果、山極氏が議論のリード役を果たした。

 

斎藤幸平氏

 

■斎藤氏「こんな暮らしを続けていては気候変動に対処できない」

 

斎藤氏は冒頭、「われわれ、こんな暮らしをしていて気候変動に対処できるのか」と指摘。「できないでしょう」と続けた。以下次のように主張している。

・世界的な気候災害は例年化しており、先月発表されたIPCCの報告書通り。地球は燃えており、火事であるにもかかわらず、日本では気候変動対策は日本の争点になっているのか。自民党総裁選の争点にもなっていない。ツケを払わされるのは未来の世代であり二酸化炭素をほとんど出していないアフリカの人たちだ。

・今我々が生きているシステムが経済成長を求めて、より多くを生産しより多くを消費することを求め続けるためだ。利益のために。われわれの生活を豊かにするための経済成長、経済発展だったものが自己目的化していって、われわれがそれに振り回されるようになっていって、その結果として地球環境が破壊されるようになってしまっているのではないか。

・これまでの経済成長を否定するつもりはないけれども、グローバルな地球環境の危機を前にして成長をスローダウンしていく。残りの資源をみんなでシェアしていく。これが脱成長をしつつ、残りのものをコモン(共有財産)にしていく。コミュニズム。

・資本主義が自分にどれだけの恩恵をもたらしたのか。失われた20年の中で不正規雇用は増え、格差は広がり、環境破壊は進んでいった。いままで通りのかつてのノスタルジーに浸って経済成長を求め続けるのではなくて、未来志向でもっともっと考えて議論して別の解決策を見いだしていくべきではないか。

・私自身は脱成長コミュニズムを主張しているが、藻谷さんはいろんな形で里山資本主義を提唱されている。

 

■「里山資本主義は資本主義のサブシステム」=藻谷氏

 

山極氏:斎藤さんは現代世界を覆っている資本主義はもうだめだと主張されている。過剰生産、過剰消費。このまま放置しておけば、地球環境はだめになるという主張だ。どこかで止めなくてはならない。一方、藻谷さんは里山資本主義という概念を打ち出した。資本主義という言葉を使っている以上、資本主義に幾分の信頼を置いている。今の資本主義を持続させながら別の方法を考えて合体させる方法を提案された。斎藤さんの考えと似ている点、違う点を解説してもらいたい。

藻谷氏:里山資本主義はテレビのディレクターが番組名として思いついたもので、私が考えた言葉ではないが、中国山地の山奥でお金はないけどブツブツ交換などをして楽しく暮らしている高齢者と仲間たちの暮らしを見ながら思いついた。野っ原から生まれた言葉だ。

・里山資本主義は資本主義のサブシステム。資本主義はメインで里山資本主義はサブシステムだとして2013年に本に書いた。本はめったに書かない。あとあと見ても恥ずかしくないように書いている。

・書いたのは8年前で、気候変動に対する切迫感はまるでなく書いていた事実は認めなくてはならない。メインシステムとひっくり返してもいいけど、取りあえずゆるりと始めようかというノリで書いていた。斎藤さんの本から見れば、「そんなことでは全く間に合わない、死ぬでしょう」。困ったなと思っている。

山極氏:斎藤さんは、生活の規模を1970年代後半のレベルまで落とすべきだと書いている。藻谷さんも「懐かしい未来」と言っている。これについては養老さんに聞いてみたい。地球環境がとんでもない危機に瀕している。何かを間違えた。過去はむしろ未来より良かったんじゃないか。

 

■養老氏「私は結構楽観的だ」

 

養老氏:私が生きてきた時代はとんでもなくメチャクチャだったという気がする。戦前、戦中、戦後の中を生きてきてよく正気でいられたなという感じだ。1億玉砕・本土決戦でやっていて原爆が2発落ちて東京は焼け野原で万歳。今度は180度考え方を変えてやってけると思うほど楽天的だった。日本人は。しかしこんなことを今やってみろと言われてもやれない。戦争に負けるというのはそういうことだった。

・そこまで極端に変えても世間というのは安定して動かない。これは私の長い間の確信というほどではないが、信念だ。地球環境問題でもそうだが、地球環境自体がほとんど生き物みたい。そういうシステムは自動的に安定性を持っている。今の変動がシステムの持っている余裕の範囲内であるのかはよく分からない。

・1個人当たりの消費エネルギーが江戸時代に比べると40倍になっている。これが長続きするはずがないだろうと前に書いたことがある。それで生きてこられたんだから別にいいんじゃないのと結構楽観的な気持ちはあります。

 

■都市で変えていくモデルを提唱したかった

 

山極氏:地域再生をするために、もっとお金に換えるんではなくてモノに頼れという話だ。新型コロナで実感したのは分業体制が進みすぎていて、自分たちに必要な物が生産できていない。パンデミックが起こった場合、自分たちで自分たちの生活を立て直せない状態に陥っている。これを何とかしなければいけないという思いは共通している。藻谷さん、その当たりどうしたらいいのかとお考えですか。

・藻谷さん=里山には分業するほど人がいないもんですからマルチタスクで何でもやっている。複業の世界が非常に豊かだということを書いた。小規模でやることで利益が出ることもある。

山極氏=地域再生をするためにどういうことをやればいいのか?

斎藤氏=広告やブランドを批判してるが、全部なくせと言っているわけではない。必ずしも否定することはないかもしれない。ポルシェとかランボルギーニは資本主義のブランド化の典型だが、300kmという無駄な機能を付けて意義づけをしていく。これは減らしても大丈夫だ。

同=二酸化炭素は誰が出しているか。都市が出している。都市が広告とブランディングと24時間年中無休蝕まれてどんどん消費していけば気候変動が進んでしまって、せっかく里山資本主義で米が育たない。北海道でしか米を作れない世界がそこまで来ている。都市で変えていくビジョンを出したかった。

同=都市を変えるモデルは日本にはないが、ヨーロッパには起こっている。都市で脱成長、里山資本主義と連携していく姿を描こうとしている。東京は金融資本主義の世界だとやばい。

藻谷さん=里山資本主義はサブシステムとしては小さすぎる。これでは世の中変わらないという批判を受けた。東京の資本主義のお金を使って、広島県神石町のこんにゃくを買ってもらうというのはおかしいですか。

山極氏=これは価値観の問題ですね。価値観の転換が新型コロナによって起こり始めている。

 

■いまの状態は脱成長なのか

 

養老氏:この20年、日本のGDPは上がっていない。安倍さんが一所懸命やったが、成長しない。いまの成長を脱成長と言って良いのか。「日本社会は空気で動く」とよく言われるが、20年GDPが上がらない状態が続くとそれは「正常」な状態である。お金があっても食えない時代がやってきた。資本主義は終わったと言う人もいる。「日本の低成長は世界のトップを走ってこうなっている。いずれ世界中がこうなるよ」なのか?

藻谷氏=去年のGDPは就職氷河期の1997年のGDPを少し下回った。アベノミクスでちょっと上がったが、あんまり上がっていない。良く見ると平坦ででこぼこが付いている程度。基本的には成長していない。昨年の個人消費も97年のレベルを少し下回った。コロナで一時的に下がったという人がいるかもしれないが、多くの人はコロナによって本来の姿が現れたと感じているのではないか。斎藤さん的に言うと、それはやりたいことができていない自己不全になっているだけでマインド的には成長できないと思い込んでいるだけのことなのか。

斎藤氏=そうですね。今起きているのは成長したいんだけど成長できていないということは、これは脱成長してなくて、ただのリセッション(景気後退)、長期停滞の事態だ。これは最悪の事態だ。

同=これは私も望んでいない。なぜかというと、資本主義社会というと、成長を前提として制度設計されている。毎年企業は利益を出すことを望んでいるし、より多くの利益を出さなければいけない。そこから利子を払ったり配当を払ったりしなければならない。これはシステムにビルトインされている。パイが大きくならない中でもっと配当払ったりもっと業績上げて給料上げたりしなくてはならない。結局は、従業員の非正規雇用を増やしたり賃金を減らしていくしかない。

同=一般の人たちの生活が下がっていく一方で、一部の人たちだけは株とかの運用によってさらにお金を増やしていく。そういうメカニズムに入っている不幸な状態だ。それでいろんな人が人が批判して、左派であればリフレ派だけでなく「政府はお金をもっと出したらどうか」「景気活性化できるのではないか」と主張している。

同=しかし気候変動の観点から非常に問題だ。お金をみんなに配ったとしても経済成長をするかもしれないが、地球環境は犠牲になってしまう。持続可能な成長が解決策が出される。理論上はそんなものが存在するのかという問題はある。

同=なぜ脱成長かと言えば、その過剰さを見直して手放さなければならない。配当のシステムをもっと制限をかけてやめさせる。金融資産にもっと課税をする。過剰なファストファッションだとかファストフードや大型スポーツカー、SUVに対して規制をかけたらいいのではないか。

同=そんなに働く必要ありますか?24時間働く必要ありますか・労働時間を短縮する法律を作った方が人々の幸福度は上がるのではないか。経済成長は下がっていくが、健康や幸せは上がっていく可能性は十分にある。これが私の言う脱成長だ。

山極氏=日本の成長は実際は戦後の朝鮮動乱でボロもうけしたのがきっかけだ。

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