【認知機能】「横断歩行者妨害」で反則キップを切られた挙げ句「認知機能検査」の追い打ち=さらには電柱接触事故を起こし機能低下も疑いなしか

東京都公安委員会から送られてきた「臨時認知機能検査通知書」

 

■横断歩行者妨害は「道路交通法違反」

 

横断歩行を渡ろうとしていた歩行者を妨害しようとしたとして警察官に捕まり反則切符を切られたのは今年1月21日(日)午前10時すぎ。

横断歩道の両サイドに歩行者が立っていた。左側に立っていた人の存在は気付きそのまま通過したが、私を呼び止めた警察官によると、右側にもう1人立っていて渡ろうと1歩踏み出していたと指摘された。小雨が降っており、気付かなかった。急いでもいた。

警察官は近くにいてその様子をじっくりうかがっていたらしい。警察官に違反を指摘された以上、免れることはできない。

正直、「運が悪かった」と思ったのは事実だ。人が横断歩道を渡って場合に通過すれば衝突することになるからそんなことはしない。問題は「歩行者が渡ろうとしていた」ことを現認していた警察官がそこにいたことである。、積極的にそれを主張するのは警察官しかないはずである。

警察官も「軽微な事故ですから」と認めた上で犯則キップを切って15分くらいで解放された。2点の違反点、反則金9000円である。

ところが反則金を払い終わって事件のことを忘れていたところに舞い込んだのが東京都公安委員会の印が押された「臨時認知機能通知書」である。

この通知を受けてから1カ月以内に、やむを得ない理由なく検査を受けない場合は、運転免許が取り消されることとなるとはっきりと警告している。

 

指定検査場所は鮫洲

 

■検査開始時間は午前9時

 

指定された検査場所は品川区東大井の鮫洲運転免許試験場。京浜急行線鮫洲駅から徒歩10分のところにある。指定日は令和6年3月1日。検査開始時間は9時。

外出から帰宅すると郵便ポストに警視庁から不在票が入っていた。警察から連絡があると言われてドキッとしない人はあるまい。一体何が起こったかと思った。

警察とは日頃縁がないところである。あわてて翌日配達してもらったのが「臨時認知機能検査通知書」だった。

反則金を支払うだけで終わったつもりだったが、それに追い打ちを掛けるような出頭命令だった。それも検査は午前9時スタート。検査開始30分前から受付が始まり、「遅刻した場合は検査を受けられません」と注記してある。

自宅は練馬区である。8時30分に品川区の鮫洲運転免許試験場に到着するためには自宅を6時30分頃には出発しなければならない。

通常の起床時間が毎日8時半頃の人間に、その時間に出頭を求める。それも2時間もかかる。問答無用である。受験者のことを何も配慮しない時間設定としか思えない。腹が立った。

 

結果通知書

 

■認知機能検査を義務付け

 

警察に腹を立てても始まらない。問答無用である。腹を立てたら公務執行違反である。6時半に自宅を出て鮫洲試験場に着いたら8時半だった。4階エレベータの前でスタッフが待ち構えていた。びっくりするほどの対応だった。

昨年、免許を更新したが、75歳の後期高齢者になったため、高齢者講習を受けたが、その時に認知機能検査を受けている。認知機能検査を受検しその合格が免許更新の条件になっていた。高齢者対策もガチガチである。オーバースペックそのものだ。

75歳は後期高齢者であり、それ以前に比べハードルがぐーんと上がるのである。認知機能検査とは記憶力や判断力の低下があるかどうかを比較的短時間で判定できる認知機能の簡易スクリーニング検査。

75歳の免許更新時にも単独で同検査を受けたが、一定の違反をした75歳以上の運転者も受験が義務付けられている。今回はこれに該当した。

違反行為は18項目。信号無視、通行禁止違反、横断歩道横断歩行者妨害から安全運転義務違反などあらゆる違反項目を定めている。違反を見逃すことは絶対になさそうなほど厳格である。

約30分ほどの検査を終えて結果が発表されたが、「認知症のおそれがある」基準には該当しなかったとの判定が出た。

 

壁に貼られた反省の日々

 

■人身事故件数は24歳以下が高齢者より多い

 

新聞紙面やテレビのニュース番組で高齢者によるハンドル操作の誤りで起こした事故が大きく報道されているのは知っている。ブレーキを踏むところをパニックでアクセルをさらに踏み込んでしまったから起こる事故だ。

JAFによると、ペダルの踏み間違い事故が新聞やテレビなどで大きく扱われるのは、死亡重傷事故が起こったときに限られる。この場合、加害者となったドライバーは確かに高齢者がほとんだ。

それで普通の人はコンビニや病院などの駐車場で店舗や施設に車が突っ込んだ事故、あるいは繁華街などでの暴走事故を思い浮かべ、事故を起こしたのは「どうせまた高齢者だろう」と疑うこともしない。

JAFMate・onlineは「高齢者だけでなく若者も、ペダルの踏み間違いには要注意」と指摘する。同onlineは「それは半分当たっているが、半分は外れだ」と言う。

軽傷事故を含む人身事故件数で見れば、24歳以下の若年ドライバーが65~74歳、75代以上の高齢ドライバーを上回り、最も件数が多い。「踏み間違いは、高齢ドライバーに限ったことではない」と警告する。

 

■なかなか思い出せないイラスト内容

 

認知機能が衰えたことは自分でも認識している。認知機能検査は記憶力を検査する「手がかり再生」と時間の感覚を検査する「時間の見当識」の2項目について行われた。

このうち記憶力の検査が意外と大変だ。一定のイラストを記憶し、採点には関係しない課題を行った後、記憶しているイラストをヒントなしに回答し、さらにヒントを基に回答する。

これがなかなかできないのだ。1ジャンル4イラストで4ジャンル出題される。16題のうち回答できたのは10題だった。何とか思い出そうとするが、うまく思い出せないのだ。悔しい。

 

この電柱は家を建てる前からあった

 

■電柱と”相撲”を取る

 

反則を起こしたのは当初、「運が悪かったため」と自分に非がなかったと思っていたが、その認識を改めさせたのが1カ月後の2月20日に起こした電信柱との接触事故だった。

車は狭い庭に頭から突っ込んで駐めているが、右側に自転車を入れていたため左側にある電柱と接触した。タイヤを巻き込んだ形で抱き込み、ヘタに動かすと接触部分が拡大する恐れがあった。

自分でもできないことはなかったが、安全を見込んでJAFを呼んだ。1時間ほどでJAFが来たが、電柱は公道に立っており、JAFからは「事故届を出さないと作業に入れません」と言われた。それで警察に110番通報し、近所の派出所から警察官の臨場を得て何とか処理が終わったのは1時間後だった。

加えて1週間後にまた同じ電柱と接触し、傷をさらに広げた。もう何おか言わんである。同じ事を何度も繰り返す自分に嫌気が差した。自分の認知力にはとっくに愛想が付いている。

 

元なぎさ通り

 

■周囲はさざ波の寄せる「なぎさ」だった

 

やはり朝が早いと仕事も早く済む。認知機能検査を終えたのは午前10だった。この日は品川区鮫洲の自動車運転免許場で検査を受けた後、そこからほど近い会社の知人を訪ねることにしていた。

その会社は東品川にあった。いずれにしても早すぎるので歩いて行くことにした。品川と言えば東海道である。旧東海道が観光名所で今やシンボル的存在だ。

最初に目に入ったのが「元なぎさ通り」(延長1300m)の標識。かつて旧東海道のすぐ東側は、潮の香りとさざ波の寄せるきれいな海が広がっていたという。

この通りは、埋め立て前さざ波が寄せたなぎさの場所にあたる。そのことにちなんで「元なぎさ通り」と命名された。海抜2.2m地帯である。

 

品川寺(ほんせんじ)

 

■漢字も渡来時期によって異なる

 

旧東海道を北上していくと「品川寺」(ほんせんじ)にぶつかった。中国から伝わった漢字の読みを「音読み」と言うが、渡来時期によって国も違えば漢字の音も違う。

最初に来たのが呉音(ごおん)、次が漢音(かんおん)、最後が唐音(とうおん、宋音)。「呉音」は5~6世紀に入ってきた読み方で、仏教用語など歴史の古い言葉によく見られ、仏教用語はほとんどが呉音

 

地蔵菩薩

 

■「品川寺」を呉音で読むと「ほんせんじ」

 

漢音は7~9世紀に入ってきた読み方。一番多い読み方で、だから「漢字」と言う。唐音は10世紀に入ってきた読み方。宋・元時代の音は宋音、唐宋音と呼ぶ。唐音で読む漢字は少ない。

品川は呉音読みで「ホン」。平安時代前期に開創され、「品川」の地名の由来となった品川区で最古のお寺。江戸六地蔵の1つである「地蔵菩薩」は3m近くあり、1300年間、旅人と町の人々を見守っている。

 

丸屋履物店

 

■創業159年の丸屋履物店

 

旧東海道をさらに歩いて行くと和装履物屋があった。丸屋履物店(品川区北品川2)。創業は慶応元年(1865年)。明治維新が1867年だからまだ明治になる2年前だ。江戸時代である。

「台を選んで頂きそして花緒をおすげしてお客様の足に合わせる」というスタイルは崩していないという。「すげる」とは台に花緒を取り付けることを言う。その理由はピッタリと足にフィットした履物の履きやすさにあるらしい。

「足に合った履物、本当の履物をお客様に体感して頂きたい、というのが私どもの思い」としている。江戸時代に普段履きだった下駄を販売している店が、それから150年経った令和の時代にもまだ残っているなんて信じられない。

 

知人の会社は台場小の隣だった

 

■台場小を目掛けていくと・・・

 

ぶらぶら歩きの末、ようやく知人の会社にたどり着いたのは午前11時30分。あっちで油を売り、こっちで道草を食った挙げ句だ。金はないが、時間だけはたっぷりある。

知人からは「台場小学校」を目指してくれと言われていた。台場とは砲台、つまり大砲を置く「台」となる場所のこと。江戸末期、ペリー来航をきっかけに、外国船の襲来を脅威に感じるようになった徳川幕府が江戸を守るために築いた砲台、それが台場だった。

いわゆる「お台場」は今や台場は斬新な建物が立ち並び、近未来的な観光スポットとして有名だが、台場は全国各地に存在する。

ウィキペディアによると、ただ台場小学校の由来は唯一陸から張り出す形で造られた「御殿山下台場」の跡地に設立されたことに起因するらしい。学校の建設前には気象台があり、それを記念した灯台が記念碑として設置されている。

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