ロシア軍に包囲されるキエフを偲びながら自宅の小さな庭で梅を愛で平和を願う
■庭先で梅見をする平凡な幸せ
2階からわが家の庭を眺めると、ほんとに小さな2畳ほどの広さしかない。ただ高齢になるとこの2畳の広さも結構広いのだ。あんまり広すぎるとメンテするのも大変だ。
などと自分で屁理屈を付けて下に下りて椅子に座ると、何と言っても暖かいのが嬉しい。ウクライナの人たちに対しては申し訳ないと思いながらも、朝食後のひとときをくつろいでいる。
まるで何も変わらない日常ほど有り難いものはない。今日の続きが確実にやってくることは何と幸せなことか。ウクライナには行ったことがないが、どこの国の市民も同じだろう。平和が尊い。平和にまさるものはない。
1人の狂人が権力を持つとどういうことになるか。ナチスのヒットラーと同じだ。妄想的な強権主義者が増えている。中国の習近平氏もそんな1人になりそうだ。大国主義の権化だ。プーチン氏は昔懐かしロシア帝国の再来を夢見ているのかもしれない。習氏は漢王朝の再興を狙っているのではないかという気がする。
■初孫を記念して12年
孫娘が3月で小学校を卒業する。生まれた時から12年。生まれた年の2010年3月28日に越生梅林(埼玉県越生町)の土産物屋「利根川屋」で買った紅枝垂れ梅だ。
小さな蕾がゆっくりと膨らみ、2月に入ると、大きく開いた。今は満開である。庭に椅子を出してコーヒーを飲みながらゆったりと眺める。ウクライナの人たちにも見せてあげたい。
そう言えば、うちでは毎年梅見を楽しんでいる。桜の木は小さなわが家には似合わないが、小木の梅なら大丈夫。大きな桜の木はすぐそばの高松小学校に任せている。高松小には巨木がもっとあったが、5年ほど前に苦情に負けて切ってしまった。今は西門に2本のみだ。花びらが風に舞い、辺りに桜吹雪を散らすのが嫌われた。
桜のせいではない。ウクライナのせいでもない。プーチンという1人の偏執狂の妄想のなせる技だ。彼はどんな責任を取るのだろうか。