【試写会】ワイン文化を広めたフェニキア人が誘う「レバノンワイン」=世界で最も古く最も危険な産地をめぐるドキュメンタリー
作品名:「戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン」
監督:マーク・ジョンストン、マーク・ライアン
出演:セルジュ・ホシャール(「レバノンワイン」の父と呼ばれたシャトー・ミュザール2代目)
マイケル・ブロードベント(イギリスのワイン評論家、作家、オークショニア)
ジャンシス・ロビンソン(ワイン評論家、ジャーナリスト、ワインライター)
エリザベス・ギルバート(米ベストセラー作家)
2022年11月4日@日本記者クラブ 11月18日よりアップリンク吉祥寺など全国ロードショー
■レバノン最古のワイン圧搾機を発掘
ナショナル・ジオグラフィック日本版(2020/11/18)によると、中東のレバノンで同国最古のワイン圧搾機(圧搾所)が発掘された。学術誌『Antiquity』(英ケンブリッジ大学出版局)に発表された。
ワイン圧搾機が発掘された場所は、レバノンの沿岸都市シドン(アラビア語=現在名サイダー)から南に約8キロ離れたテル・エル・ブラク遺跡。少なくても紀元前7世紀には使われていたと推測される。
発掘現場からは大量の種子が見つかっており、近くのブドウ園から運び込まれたブドウを人の足で踏み潰していたことを示唆している。ワイン圧搾機の保存状態は極めて良く、耐久性のあるしっくいが塗られており、約4500リットルの液体を入れることができたという。
当時、レバノンはフェニキア人の領土だったため、フェニキア最古のワイン圧搾機ということになる。ワイン発祥の地として有名な「ジョージア」だが、厳密には詳細は不明というのが本当のようだ。約8000年前の陶器の壺が同国で見つかり、それを根拠に世界最古のワイン生産地と言われるようになったといわれる。
ワイン圧搾機は泥レンガでできた住居4棟とともに発掘された。テル・エル・ブラクは紀元前8~6世紀に存在したフェニキア人コミュニティーの一部で、輸出用ワインの醸造が行われていたと、研究チームは推測している。
「フェニキア人にとって、ワインは重要な交易品でした」と、テル・エル・ブラク考古学プロジェクトのコーディネーターを務めるベイルート・アメリカン大学(AUB)のヘレネ・セイダー氏は話す。シドン地方のワインは特に有名で、古代エジプトの文献でも言及されているという。
■ワイン文化を広めたフェニキア人
フェニキア人は現在のレバノン一帯に居住し、古代地中海貿易を支配した海洋民族だ。「アルファベットを欧州に伝え、産業革命をもたらしたことでも知られている」と日経本社コメンテーターの中山淳史氏は日経電子版(2020.1.18)に書いている。
レバノンで思い出すのはやはり日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告だ。「ゴーン被告はブラジル生まれながら、レバノンの国籍も持ち、古代フェニキア人の末裔であることに誇りを持っているのではないか」(中山氏)という。
フェニキア人は単一の民族というよりも東地中海岸のレバノンのあたりを拠点に地中海方面に海上貿易に従事した集団で、シドンやティルスはむしろ海の民の活動に刺激され、前1世紀にさらに活発に地中海交易に乗り出し、前9~8世紀は地中海の各地に植民市を建設したようだ。
「フェニキアの船乗りたちは北アフリカやシチリア島、フランス、スペインの植民都市にブドウ園とワイン醸造所を広めた。さらに古代ギリシャ、ローマとの交易を通じてワインを普及させた」(ナショナル・ジオグラフィック日本版)という。
古代ギリシャやローマでは、野生のブドウのワインはすでに知られていたが、文化としてはあまり発展しておらず、「恐らくフェニキア人がワインを飲む文化や新しい形の杯、それまでとは異なるワインとの関わり方を広めた」(同上)とトロント大学(カナダ)の考古学者スティーブン・バティウク氏は述べている。
フェニキア人のワイン好きは宗教にも影響を及ぼし、近東の他の宗教においても儀式の際にワインが使われるようになったとも同日本版は書いている。
■キリスト教とともに世界に普及
フェニキア人は古代エジプトで造られていたワインをギリシャに伝え、そこから大きく発展する。古代ギリシャでは、酒の神・ディオニソス(ローマ神話ではバッカス)がワインをギリシャにもたらしたと神話が作られ、大衆まで楽しめるようワインが広まった。紀元前1100年頃はギリシャは有数のワイン輸出国となった。
紀元前600年頃、ギリシャ人の一部が南フランス・マルセイユ地方に移り住んだことで、フランスでもワイン造りが始まった。ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュといったフランスワインの銘醸地にも徐々にブドウ栽培とワイン造りが伝わっていったといわれる。
そんなワインが世界に伝わる最大のきっかけになったのはキリスト教だ。ワインは「キリストの血」とされ、中世ヨーロッパではキリスト教が政治の中心で力を持った。
教会や修道院はブドウ栽培とワイン造りに力を入れ、醸造の技術が高まり、キリスト教とともに世界へとワイン造りが広がっていったのである。
■「中東の火薬庫」ベイルート
本作品はマイケル・カラム氏の著作『レバノンのワイン』に着想を得たドキュメンタリーだが、ワインジャーナリストの綿引まゆみ氏の公式ブログ「ワインなささやき」によると、マイケル氏自身が2015年3月に東京で「レバノンワイン」のセミナーを行っている。
レバノンは地中海の東に位置し、南はイスラエルと国境を接し、北東部はシリアにすっぽり囲まれている。面積はイスラエルの半分。首都はベイルート。
フランス委任統治領時代(1926~1943年)があったため、フランスの影響が強く、フランス語は準公用語的に使われているという。私も昔、学生時代に独り旅をしていたとき、1週間ほどベイルートに滞在したことを思い出した。
日本赤軍派の重信房子が滞在していたというホテルというかアパートに泊まった記憶がある。時事通信社への入社が決まっていて、当時あった時事の支局を訪ねたことも覚えている。
1970年代半ばだった。フランス統治時代の名残か、ベイルート最大の繁華街ハムラストリートを歩いたら、同じ中東でありながら、街全体が「中東のパリ」と呼ばれていたことも知っている。とにかく特別な街だった。
■レバノンは「50年間、ずっと戦争」
そう言えば「中東の火薬庫」はレバノンの代名詞だった。東京新聞の「『中東の火薬庫』レバノンの今」を読むと、岐阜県ほどの小国にはイスラム教がキリスト教など18の宗教・宗派が混在し、諸外国の思惑に左右されながら、危うい均衡を保っている。
内戦は1975年から始まった。イスラム教徒とキリスト教徒が衝突だ。1990年に一度内戦は終結したものの、2006年にはイスラエル軍が侵攻しヒズボラと交戦。2019年には経済悪化で反政府デモが拡大。20年8月にはベイルート港で大規模爆発が起こり、224人が犠牲になった。
遺族や負傷者への政府補償もなく、原因調査も止まったままで爆発の責任が誰にあるかも分からない有様だ。イスラム教徒とキリスト教徒間の衝突は日常的に続く。ヒズボラの軍事力はレバノン軍を上回り、隣国イスラエルと敵対関係が続いている。
港近くに住むキリスト教徒(56)が吐き捨てた台詞が胸を衝く。「レバノンは75年から今もずっと戦争だ。経済戦争に政治戦争、もうみんなうんざりだ」
■「レバノンワインの父」も登場
本ドキュメンタリーの中では、ワイン界の著名人で世界的に有名なイギリスのワイン評論家、ジャーナリストのジャンシス・ロビンソン氏や同じくイギリスのワイン評論家のマイケル・ブロードベント氏なども登場する。
また「レバノンワインの父」と呼ばれたシャトー・ミュザールの2代目、セルジュ・ホシャール氏も「ワインは実に偉大な師だ。人々の心を通わせるのだからね。心が通えば平和になる。戦争はしない」と述べている。
同氏はさらに「爆弾が降り注ぐなか気付いた。人生もゆっくり味わうべきだと」「ただ酔っ払うためだけにワインを飲むのなら、戦争で使えばいい。だが人生を楽しむために飲むのなら、ワインは戦争ではなく平和をもたらすものになる」などと明言を吐いてもいる。