JR神田駅が生まれ変わる

 大手町や丸の内・八重洲、日本橋など周辺地域が再開発され、目覚ましく変貌するのを尻目にJR神田駅周辺は開発・発展から取り残されている。私が駆け出し記者時代にときどき昼飯を食べた大衆食堂兼居酒屋「升亀」は今日現在も健在だった。消滅していないだけでも奇跡だが、全く発展もしていそうにないのにも驚いた。

 江戸時代、大店・老舗の立ち並ぶ日本橋が町人の町として賑わったのに対し、神田は職人の町として下町の中心だった。江戸の中でも最も古い町で、神田はブランドとして先端を行っていた。

 「江戸」から「東京」になり、たびたびの区画整理や戦後の復興・整備で失われた町名も多いが、今でも神田淡路町、神田岩本町、神田小川町、神田神保町、神田美倉町など26の町が存在するほどだ。

 そのJR神田駅ではエレベーターやエスカレーターの新設や段差解消、コンコースの美化など大規模な改修工事が進んでいる。エレベーターやエスカレーターのなかったことだけでも時代から取り残されていたほか、構内も迷路のようで段差が目立った。使い勝手の悪い駅だった。

 駅構内の改修工事と並行して、線路上では「東北縦貫線」(東京-上野間3.8km)の架設工事も進んでいる。既設の山手線、京浜東北線に新線を追加することで、東北・高崎線、常磐線、東海道線との直通運転を実現しようとするものだ。開業予定は2013年度。

 JR神田駅の利便性は改善されるが、問題は駅周辺地域。駅周辺で仕事をしている友人によると、どうやら、戦後のどさくさで地権者の権利関係が複雑に入り乱れ、開発しようにも開発できない事情があるらしい。コロコロ変わるのも困りものだが、全く変わらない、変われないというのも問題だ。さて、どうなるか。
 

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