【試写会】「教科書でいま何が起きているか」を伝えるため関西ドキュメンタリー番組監督が初めて挑んだ映画は『教育と愛国』

『教育と愛国』パンフレット

 

テーマ:ドキュメンタリー映画『教育と愛国』
監督:斉加尚代(さいか・ひさよ)
プロデューサー:澤田隆三
試写会5月10日@日本記者クラブ
5月13日ヒューマントラスト有楽町、シネ・リーブル池袋、UPLINK吉祥寺、京都シネマで公開
以降、大阪・第七芸術劇場など全国で順次公開予定

 

■「教育と愛国」の関係を見つめながら最新教育事情を記録

 

2017年にMBS毎日放送(大阪)で放送され、ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞した『映像’17教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか~』を、追加取材と再構成によって完成させた最新教育事情のドキュメンタリー映画。

MBSで20年以上にわたって教育現場を取材してきた斉加が監督を務め、俳優の井浦新が語りを担当した。19年に番組内容と取材ノートをまとめて書籍化し(岩波書店刊)、20年には座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルでも上映された。

本作は、歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた大手教科書出版社の元編集者や、保守系の政治家が薦める教科書の執筆者などへのインタビュー、新しく採用が始まった教科書を使う学校、慰安婦問題など加害の歴史を教える教師や研究する大学教授へのバッシング、さらには日本学術会議任命拒否問題なども取り扱っている。

 

■改正教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、政治が教育に近づく

 

2020年教育改革は社会のグローバル化、情報化を捉え、「社会に開かれた教育課程」に取り組んでいく方向を打ち出している。具体的には小学校では20年度から新課程が実施され、プログラミング教育が必修化。3・4年生に年35時間の「外国語活動」、5・6年生に年70時間の「外国語科」が新設された。

プログラミングの授業では、プログラミングの技能やプログラミング言語を覚えることが学習の主たる狙いではなく、自分の意図する行動の実現のために論理的に考える「プログラミング的思考」の育成に重点が置かれている。

現在の小学校のカリキュラムで設けられている「外国語活動」は教科としての扱いではないので成績はつかない授業。しかし「外国語科」は教科としての扱いなので、国語や算数のように成績がつく授業となる。

中学校でも21年度、高校では22年度から始まった。

またセンター入試に代わって21年度からは「大学入試共通テスト」が導入された。英語では英検やGTECといった民間試験も加え、従来の「読む・書く」だけでなく、「読む・聞く・書く・話す」も評価される。ただ家庭の経済状況や地域格差が指摘され実施は延期された。

斉加監督は「戦後の教育は軍国主義に傾斜したことへの反省から政治と常に一線を画してきたが、2006年に第1次安倍晋三政権下で教育基本法が改正され、『愛国心』が初めて盛り込まれて以降、政治と教育の距離がどんどん近くなっている」と指摘する。

 

■改正教育基本法が成立

 

教育基本法は1947年3月31日に成立・施行され、ずっと改正されてこなかった。日本国憲法の成立に合わせて制定され、男女平等、政治的・宗教的中立性など当時の憲法観の影響を強く受けている。

2000年に発足した「教育改革国民会議」は教育基本法の改正が必要との認識に立ち、国家、郷土、伝統の強調、家庭教育・情操教育の強化など取り上げ取り上げた。

2006年12月に成立した教育基本法改正法は教育の目標として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」を盛り込んでいる。

 

斉加尚代監督(左)

 

■教育の本質について考えてほしい

 

斉加監督は上映終了後の記者会見で、「映画では教科書の中の戦争の記述をどう子どもたちに伝えていくかが1つの大きなテーマだったが、ロシア軍がウクライナに侵攻する事態は全く想像していなかった。今ロシアが愛国教育が積極的に行われていることを耳にして、教科書が将来の社会に大きく影響を及ぼすものだと痛感し、この映画をこのタイミングで多くの方に見ていただくことの意味を自分自身改めて感じている」と述べた。

また、「この映画はイデオロギーの対立ではなくて、あくまで戦前日本の子どもたちを1つの色に染めてしまった反省を基に戦後日本国憲法が誕生し、それに結びついた形で教育基本法ができたことは世界の平和を実現するために大事なんだということから出発している。教育の本質について考えてもらいたい」と語った。

主な発言の要旨は以下の通り。

 

■大阪では「維新の会」が権力集団として存在

 

・澤田(プロデューサー)=MBSは1980年から毎月1回、日曜日の深夜零時50分から「映像」というタイトルでドキュメンタリー番組を制作している。斉加と私は同じ時期にディレクター、プロデューサーとなった。斉加は7年間続けている。

・今日見ていただいた作品は17年に50分のテレビ番組として放送。その後追加取材も行い107分の作品に仕上がった。映画は初めての経験。作ること自体はそれほど差はないが、作ってからの伝え方などテレビと全然違うと実感している。

・斉加=(政治報道についての思い)=これについては大阪の現場を取材していて痛切に感じていた。大阪では維新の会が2011年9月に「教育基本条例案」をまとめてまさに政治主導で日本の現場を変えていくんだという方針を打ち出したからだ。まず気に入らない駄目な先生を排除するという言い方をしていたが、気に入らない記者もバッシングしていくという流れも時期を同じくして生まれた。

・同=私自身も2012年5月、教育をテーマに当時人気絶頂だった橋下徹市長に対して「君が代を歌わない先生の口元をチェックする」ことに「すばらしいマネジメントだ」と称賛した市長を「教育的に問題がある」とぶつける取材に行ったが、「こちらの質問に答えない記者には答えない」との逆質問にあって30分近く論争する事件が起こった。

・同=記者としてはバッシングは当たり前のことなので納得したが、その後ネットで私に対する罵詈雑言などが殺到し、同僚がナーバスになり萎縮している姿を見て自分が感じていた「臆せず徹底的に質問する」ことが難しい時代になってきたのではないかと感じた。10年前の出来事だ。

・同=本来の記者の職責を果たせないような状況が生まれていた。記者自体が横の連携をとって政治家に向き合えば、本来の職責が果たせるはずなのに記者同士が分断されて選別されて意のままになる記者、意のままにならない記者というような線引きがされて非常に根深い構造が作られてるのではないかと感じている。

・同=先生の世界でも、記者の世界でも、学者の世界でも政治による分断・選別が行われている異常な事態を見逃すことができないというふうに考えて、その思いも映画に込めた。

・澤田=関西には政権与党とは違う「維新」という強大な権力集団がいて、関西のテレビ局特有の親近感かなれなれしさを視聴者に見せる風潮がある。東京と一緒の部分もある。

 

■圧力を掛ける側のエネルギーとはどんなものなのか?

 

・斉加=東大名誉教授の伊藤隆さんは信念をお持ち。ある意味で堂々と存在感、緊張感がカメラを向けているときもあった。魅力を感じる取材対象だった。一方でバッシングを受けた後のことを考慮して取材を断る人が非常に多かった。伊藤さんは歴史学の変遷の中で生きてきた自分の人生の中ではバッシングを受けるのは当たり前のことなんだという気迫で取材を受けておられた。これは取材して初めて分かったことだった。

・同=森友学園理事長の籠池泰典さんの場合は非常に語りが軽妙で、「今の教科書で問題点はどこだと思いますか」と尋ねたときに「今の教科書は安倍史観に染まっていて問題がある」といわれる。言葉の軽さというか、その時々の気になる言葉を繰り出している。

・「学び舎」の教科書にはがきを送りつけていた山口県防府市長の松浦正人氏(当時)も非常に軽い感じがして、「尊敬する人から言われたからしたんです」という。社会的地位に伴う責任を感じられなくて不思議だった。

 

■政治の風圧が「学術会議」にも迫っている

 

・澤田=(5年かかっているのはなぜ?)=固いテーマだし社内の調整に時間がかかった。教科書だけではなくて、学術会議も盛り込んだ。

・斉加=年間3~4本を作り続けるチームに所属していたので、映画を製作するとなるとレギュラーの仕事から抜けなければならない。レギュラーを抜けてでも映画にしたいという気持ちに当時はならなかった。

・リメークすることには消極的だったが、20年に入って新型コロナウイルスが感染拡大する中で学校現場で先生たちがどんどん元気を失って疲弊していく様子を間近で見て、元気を失っていく理由の1つに松井一郎元大阪市長が教育委員会にも相談せずオンライン授業を一斉に実施すると記者会見の場で発表して学校現場が大混乱したことがあった。

・トップダウンの教育がどんどん進行していって子どもたちに直接大きな影響が出るようになっている事態に直面したときに、自分はもう一度教育をテーマとして再取材しなければならないと考えた。

・先生たちは「今どんな授業が必要か」「学校でどんな安全・安心が必要か」と自分たちが考えるべきことなのに、上から下りてくるいろんな指示に右往左往する中で教育の自由がどんどん壊されているという先生もいて、「教育の自由が失われているのか」と感じていた矢先に日本学術会議の問題が起こった。

・教育の自由と学問の自由まで脅かされるのは何なんだ?これは改めてテレビドキュメンタリーの枠を越えて訴求できるような表現をしなければいけないんじゃないかと考えた。これが映画という選択肢になった。

・深夜に放送しているドキュメンタリーだが、1980年から続いている伝統のあるドキュメンタリーなので関西には根強いファンがいてよく見てくださるが、やはり関西ローカルドキュメンタリー。視聴者は関西エリアに留まっている。

・教育と学問の自由に関わる問題を全国の人たちに伝えるのにはテレビドキュメンタリーの枠を越えて映画にすべきではないかと考えて奮起した。奮起してから社内で映画事業として社内で合意を得るまで1年ほどかかった。テレビ公開から5年かかってしまった。

 

■日本社会は「正しい教育」のために何をやるべきか

 

・教科書は子どもたちが初めて手にする学問の書だと思う。学術的知見に沿って作られるべきだと思う。日本史の教科書執筆者は自分たちの記述について決定的な根拠を求められるにもかかわらず、政府見解がいったん出されると、学術的根拠もなしに教科書に取り込まなければならない。

・政治圧力が強まっている教科書検定制度を見直して学術の書に戻さなければならない。教科書が子どもたちにとって真理を追究する学問の書でなくなってしまえば、それこそ歴史認識が歪められる恐れが増してしまう。アジアの平和を最悪の場合、崩してしまう恐れがあると思う。

・いろんな人たちが目を光らせて純粋に学問の書に戻していく。今こそそういう声を挙げたり運動をすることが求められているのではないか。

 

映画はビジネス。フォトセッションも設けられて・・・

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