「ニュースの天才」

  商売柄、「ニュースの天才」は見なければいけない映画だと思っていた。ロードショーは終わっていたが、5月21日(土)から新橋文化劇場で上映が始まった。ビリー・レイ監督の監督デビュー作品。原案はピュリッツアー賞受賞記者のバズ・ビッシンジャー。

 1998年に起きた「THE NEW REPUBLIC」のスタッフライター、スティーブン・グラス(当時25)が同誌で発表したスクープ記事41本のうち27本の全体または一部が捏造だったことが判明。同誌が米大統領専用機に唯一積んである権威ある政治雑誌であったことで大きな反響を呼んだ。映画はこの事件を基に作られている。

 ニュース=事実。しかし、その事実は1つではなく、大体はいくつもの事実で構成されているのが普通。事実の組み合わせ方によって、全体のニューアンスが異なることも起こり得る。構成する事実の1つが間違っているために、誤報につながることも生じ得る。

 確かに、ニュースには”商品”としての性格もある。報道機関を名乗って、報道事業を行っているものの、基本的には株式会社による商業行為。読者に読んでもらわなければならない、買ってもらわなければならないからだ。しかし、そのために、事実を捻じ曲げたり、ましてや事実を捏造することはジャーナリストの死を意味する。

 映画では大手コンピューターソフト会社ジュークマイクロニクスがイアンと名乗る少年ハッカーの恐喝に屈して多額の報酬の支払いに応じたことをすっぱ抜いた「ハッカー天国」という記事を検証しているが、米国と日本とでは記事を作るプロセスが違うのか、なぜあんなことが間単に、しかも27本もの記事について、同僚の編集者の誰もが気づかないまま、起こり得たのか信じられない。

 いくらジュークマイクロニクス社がネバダ州にあるからと言っても、電話帳にも記載されていないことなど早い段階でチェックできたはず。ハッカー少年の顔写真は載せないまでも、入手しておくべきなのは初歩的な取材だ。どんな少年なのか、是非とも知りたい。そのあたりがなぜ、きちんと行われていなかったのだろう。

 人間のする仕事だから誤報や盗用は起こり得るが、捏造はあってはならないこと。起きてはならないことが起こるのが世の中で、それもニュースとして消費されていく。グラス事件の後も、新聞界の名門ニューヨークタイムズ紙のジェーソン・ブレア記者による記事捏造事件が発覚した。人間って、やはり欠陥のある存在なのだろう。

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