湊川神社

 湊川神社は生田神社、長田神社と並んで神戸では有名な神社だ。楠木正成を祭る神社であることは知っていたが、歴史的な背景には知識がなかった。教えられてこなかったし、その必要も感じなかった。

 それが神戸に来て、やはり知らないでは済まない。正成夫人を祭る摂社・甘南備(かんなび)神社が境内にあって、100周年を記念する祭事が開かれたのを機会に勉強に行った。やはり、きちんとした知識が必要であるのは論を待たない。

 巫女3人の踊る神楽「橘の舞」、栃尾泰次郎宮司自身が舞う「朝日の舞」(宮司の舞とも言うそうだ)、それに古代の衣装に身を包んだ「胡蝶の舞」も鑑賞した。

 楠木正成は永仁2年(1294年)、河内の国赤坂の生まれ。現在の大阪府南河内郡。鎌倉幕府の大軍が京都に攻め込んできた際、時の後醍醐天皇が正成を呼び寄せ、正成の活躍もあって北条氏を滅ぼし、天皇親政の時代となった。

 しかし、その後、建武2年(1335年)、足利尊氏が反旗を翻し、鎌倉から京都に攻め登って来た。足利軍は陸と海から侵攻、兵庫・湊川で決戦。多勢に無勢の楠木軍は敗北し、現在の湊川神社境内で弟の正季と刺し違えて自害した。これが史実。

 正成が後醍醐天皇の命を受けて湊川の戦いに赴く途中、長男の正行(まさつら)と最後の別れをしたのが「桜井の駅」(今の大阪府三島郡島本町)。わが子に父亡き後も天皇への忠誠を誓うように諭した。この時の「桜井の別れ」は講談の題材になったこともあり有名。

 これを素材とした「青葉茂れる桜井の」の歌は愛国(天皇崇拝)者のテーマソングになったという。どこかで聞いたような気がしたが、きちんと聞くのはこのときが初めて。戦後民主主義教育を受けた者にとっては違和感の強い歌だった。天皇制論議はさておき、親殺し、子ども虐待などが頻発する殺伐とした今の時代に家族愛を問い直すことを問題提起しているようにも感じた。
 
場所:神戸市中央区多聞通3-1-1
主祭神:楠木正成
社格等: 別格官幣社・別表神社
創建:明治5年(1872年)

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.