朝日新聞阪神支局襲撃事件

 朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市与古道町)に目出し帽で覆面をした男が侵入、散弾銃を発砲して小尻知博記者(享年29歳)を殺害し、犬飼兵衛記者に重症を追わせた事件が起きたのは1987年(昭和62年)5月3日午後8時15分。

 あれから21年。毎年5月3日には阪神支局1階に礼拝所が設けられる。今年初めて、記帳・礼拝した。事件の起こったときはロンドンに駐在していた。阪神支局3階に06年4月に開設された朝日新聞襲撃事件資料室では、言論の状況を考える「『みる・きく・はなす』はいま」展が開催されていた。支局の建物は昨年、建て替えられたという。

 朝日新聞への攻撃は阪神支局が初めてではなかった。同年1月24日に東京本社2階広告局の窓ガラスに散弾が2発撃ち込まれていたことがあとになって分かった。また、9月には名古屋本社の新出来寮に散弾銃を持った目出し帽の男が侵入、無人の食堂のテレビに1発、隣りのマンションの壁にも1発発射した。

 1988年3月11日には静岡支局の駐車場に、目覚まし時計を時限装置にしたピース缶爆弾が仕掛けられていたことが12日になって発見された。電流が流れず不発だった。11日の消印で竹下首相と中曽根康弘前首相あてに、それぞれ「赤報隊」を名乗る脅迫状が静岡市内から送りつけられた。

 同年8月10日。東京都内の江副浩正元リクルート会長宅玄関に散弾が1発撃ち込まれた。「赤い朝日に何回も広告をだして金をわたした」との犯行声明が出た。これら一連の朝日新聞襲撃事件は犯人を捕らえられないまま、2003年3月11日にすべて時効が成立している。

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