「変化」への対応

 今年は本当に寒いのか、それとも暖かいのかよく分からない。寒い日があるかと思えば、すぐ暖かくなったり、あまりにも気候の変動が激しい。丸で世界の政治・経済の激動ぶりに連動しているかのごとくだ。

 「改革」「変革」が時代のキーワードだ。オバマ米新大統領の掲げるスローガンも「Change」である。変化にだれだけすばやく対応できるか。現代人にはそれが強く求められている。対応できなければ生き残れない。

 問題はいくら対応したくても、自分の意思とは無関係に段々反応が遅くなるということだ。年齢的なものも確実にある。自分の考えに合わなければ、とても合わせる気にはならないことも少なくない。むしろ、死んでも「変わらない」と頑張ってしまうことだってあるはずだ。

 変化することが必ずしも正しいとは思わない。変わらないほうがいいものや変わってはいけないものだってたくさんあるはずである。 主義主張がころころ変わるのは逆に問題だ。ボスが変わるたびに主張が変わる人間をサラリーマン社会の中でいろいろ見てきた。

 どんなボスの下でも働けるのがサラリーマンなのかもしれない。そんな器用な生き方がだれにでもできるかとなると、それは違う。意外と不器用な人間も多い。むしろ不器用な人間のほうがある特定分野を極められるというのは事実だ。不器用な人間には巡り合ったその世界しかないからだ。

 「変化」に対応できなくなった場合、どうすればいいのか。難しい問題だ。それでも必死に変わろうともがく努力を続けるべきなのか、それとも居直って、「変化」への対応を拒絶すべきなのか。

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