『調べる技術・書く技術』

 ノンフィクションライター・野村進著『調べる技術・書く技術』(講談社現代新書、2008年4月20日第1刷発行)。 1980年代初頭に『フィリピン新人民軍従軍記』(講談社+α文庫)でデビューし、30年のキャリアを持つ。97年の『コリアン世界の旅』(同)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

 記者が書くニュースもノンフィクションだが、一番の違いは分量かもしれない。新聞紙面や電子媒体が発表舞台だから、12字×30~40行程度、長くても50行どまりだ。企画記事でも100行が限度だ。それ以上長くなると、読者に嫌われる。読んでもらえない。中学生が読んでも分かる文章で、いかにコンパクトに書くかが命だ、とくどいほど言われてきた。

 雑誌媒体への発表が中心のノンフィクションも短編、中篇、長編と長さの差があるようだが、短編でも400字詰め原稿用紙で10枚以上だから、記者からみれば、少なくても分量に限って言えば、ものすごく恵まれている。しかし、ディテールに拘るノンフィクションとしては書き込めないのは辛いかもしれない。

 書くことを商売に生きてきて35年。取材記者として現場を駆けずり回ったのは20年、その後はむしろ、他人の記事をチェックするのが中心のデスク業務5年。次の管理職10年は書くのも完全に社内文書が主体。ときに書くコラムなどは完全に余技だ。

 今から思い出してみて、記事の書き方をきちんと学んだ記憶がない。初めて書いたニュース記事はカメラの新製品発表リリースで、どこかの新聞記事を横に置きながら、ペラ原稿用紙(確か1枚が15字詰めで8行だった)に鉛筆を走らせた気がする。

 それから35年。書けば書くほど、難しく考えなくても書けるようになるのである。原稿がなくても、原稿を電話に吹き込むことだってできた。業界用語で「勧進帳」と言った。締め切り時間に追われながら、天井をにらみつつ、海外から電話送稿したこともあった。

 書いて、書いて、書きまくらなければならないのは当然である。それでも、書けないのは書いている分量が少ないからだ。今では、少なくても、現役のときまでは、分量が多くても、少なくても、与えられた行数で、定められた時間内に書き上げる自信があった。その要請に応えるのがプロだと思っていた。

 一線の取材記者でなくなって15年。社内文書を書かなくなって1年。「書かないと筆力が落ちるぞ」との脅しにおののいている。このブログを始めたのも、書けなくなることへの恐怖からだった気がする。書くことは単にめしの種だけではなく、書きながらいろんなことを考えてきた。「書くこと=生きること」だった。

 やはり、書けなくなっている。筆力が落ちている。思考力も低下しているかもしれない。短い文章ならともかく、長いものになると、書けない。フリーランスの立場で、それも長いものを書くとなると、並大抵のことではないことを改めて痛感させられている。

 過去の成功体験が通じないのだ。確信が崩れていく。緒に就いても、途中で止まるのだ。そんなはずなかったのに、と思っても、実際に書き進めなくなるのだから、どうしようもない。どこに、何の問題があるのか。昨年10月に着手した作品も今年3月以来、止まったままだ。

 そのときから、「あるテーマを設定し、それについて調べ、人に話を聞き、最後にまとめる技術」(本書の狙い)について、考えている。本書の前には佐野眞一著『私の体験的ノンフィクション術』(集英社新書)を2度読んだ。日経夕刊に4~6月週一連載されたノンフィクションライター、最相葉月氏のコラムは切り抜いて、今でも折に触れ読み返している。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.