永田町アウトレイジ
N新書はベテラン政治記者・田勢康弘氏がこれまた、政治状況を分析・解説する番組。派手なパフォーマンスがなく、テレビ目線を排した朴訥な司会ぶりと的確な解説が好きで、出掛ける用がない限り、じっくり見ることにしている。
毎週、政治や社会状況に合わせたゲストを招き、時の問題を話し合うが、今日のゲストは何と映画監督の北野武氏。12日公開される新作「アウトレイジ」(極悪非道)を紹介しながら、日本の政治の世界を読む視点を提供して興味深かった。
2人の親分(鳩山由紀夫・小沢一郎)が国民の目の前で刺し違えて表舞台から退くシーンはヤクザの出入りそのものだ。新作は登場人物全員が悪人の設定で、彼らが「数と力とカネ」のために殺し合う有様は、永田町劇場で繰り広げられている権謀術数乱闘と事実上何ら変わらない。
多少矮小化して極言すれば、ヤクザの世界と政界の根底に共通して流れているのは人間の最も根源的な欲求ではないか。人は群れ、力をため、カネを欲する。それが権力の源泉だからだ。その欲求を最も原始的、動物的に希求するのがヤクザであり、それを手に入れるためには法も秩序も無視し、手段を選ばない。
これに対し、法と秩序の枠内で根源的欲求の実現を目指すのが政治。政策や国家への奉仕・使命を錦の御旗に掲げながら、実際は自己の欲求をいかに満たすかが最大の狙いだ。暴力や違法行為を封印しながらも、それに代わる知恵・情報・派閥・人脈・金脈を武器に闘う。目指すは権力の頂点・総理である。
ヤクザの世界はチョイワルでは生き残れない。大ワルでなければ生き抜けない。大ワルも進化しなければすぐ新興勢力に追い落とさせる。息が抜けないのである。永田町もそれと同じことが言えるのか。非合法・合法を問わず、暴力は連鎖を生むものだ。
永田町劇場では鳩山・小沢差し違えの第1幕が終わった。その瞬間から、新たに菅・小沢両陣営が死闘を繰り広げる第2幕が始まった。戦闘に参加できるのが幸せなのか、参加できないのが幸せなのか。善人はいよいよ希少化し、チョイワルばかりが増えていく。大ワルになれないチョイワルが一番幸せなのかもしれない。