「4.25」に思う


            (今年も咲いた庭のハナミズキ)

 現在進行中の東日本大震災の悲惨さに目や耳を奪われて、危うく「4.25」を忘れるところだった。2005年4月25日、JR福知山線塚口~尼崎駅間で、宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成)の1両目から5両目までが脱線し、1、2両目が線路東側にあるマンションに激突。107人(乗客106人、運転士1人)が死亡、549人が負傷した。あれからもう6年になる。

 遺族はもとより、負傷者や家族の中にはいまだに立ち直れない人たちもいる。精神的な病を抱えている人もいる。事故の後遺症はなかなか癒えない。関係者にとっては「4.25」は一生忘れることのない日として残る。毎年その日がやってくる。

 6年目の「4.25」では遺族らでつくる4.25ネットワークとJR西日本が共同で1年半にわたって進めてきた事故検証の場「課題検討会」の報告書が公表された。被害者と加害企業が合同でまとめた異例の報告書だ。

 乗務員への懲罰的な再教育(日勤教育)、過密ダイヤ、自動停止装置(ATS)未設置について、ネット側が問題提起し、それにJR側が答える形を取っている。ATS未設置では、JR西はカーブでの大幅な速度超過による脱線を想定できなかったとしながら、「ATSがあれば事故を防げた」と回答している。会社側も安全対策の停滞を認めた。会社を強く責めながらも、それを乗り越えた点は特筆に値する。

 オブザーバーとして参加した作家の柳田邦男氏は「被害者と加害企業が事故責任をとことん議論する場はこれまでなかった。被害者の声が事故調査や加害企業の姿勢に大きな影響を持つようになった時代の始まりだ」と高く評価している。そういうことなのだろう。

 それにしても地球上は記念日のオンパレードだ。日本だけを取ってみても「1.17」(阪神淡路大震災)があり、そして今回、「3.11」に東日本大震災が発生した。もっと前だと、「8.06」(広島原爆記念日)と「8.09」(長崎・原爆記念日)があり、「8.15」(終戦記念日)がある。

 「4.25」「1.17」「3.11」「8.06」「8.09」はいずれも忘れられない日だ。それほどまでではない記念日なら枚挙のいとまがないだろう。国や一部地域を一挙に襲う災害ではないものの、個人にとって忘れられない辛い日というものもあるだろう。

 日本だけにとどまらない。世界には今の今も戦争の渦中にある国もある。アフガニスタン、リビア、ナイジェリア、コートジボワール、シリアなどがそうだ。地震の後遺症と戦っているチリやハイチもある。「9.11」もあった。世界は災害・人災に満ち満ちている。人類が生き続けるというのはこうした災害との戦いだ。歴史がそれを示している。

 恐らく、今後も「未曾有」で「想定外」の事件、事故、災害が起こり続けるだろう。それでも人間は生き続けていかなければならない。それにしても、人間の知恵は自然に比べるといかに愚かであるか改めて考えさせられてならない。奢るな!人間

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