支那そば@外神田

  もう40年以上も住んでいるから東京でも新宿、池袋、渋谷、銀座、丸の内、六本木、赤坂などと地名を聞けば、大体のエリアを想像できるが、今一つ分からないのが神田。どこからどこまでが神田なのか、神田の中心は一体どこなのか。とにかく目玉がどこにあるのか分からない。

 神田のことを真剣に考えたことは一度もなかった。考える必要もなかった。今日、JR神田駅周辺で所用を済ませたのち、銀座線に乗って出掛けた末広町も実は神田だった。正式地名は「外神田」。すぐ隣りは上野(台東区)である。

 逆にお茶の水、神保町、秋葉原と言われればすぐぴんとくる。学生街であり、古書店街であり、電気店街と決まっているからだ。これらの街はエリアとしてはどれも独立しているものの、実はすべて神田に含まれているのだ。神田はこれらの街をも包含しているのだ。

 正確に言えば、お茶の水も神保町も秋葉原も、明治時代から昭和22年(1947)3月15日までは「神田区」に属していた。だから神田なのだ。この旧神田区と麹町区が一緒になって現在の千代田区が誕生した。旧神田区の町名には神田が冠称された。神田神保町、神田小川町jといった具合に。

 外神田5~6丁目から,上野広小路に伸びる大通りを一本中に入って並行して走る路地沿いには昔ながらの飲食店が雑居ビルの中にポツンポツンと店を構えている。昭和初期の店構えにつられて「神田味の関所丸高」に入った。濃厚スープが権勢を振るっているラーメン業界の中で、今や絶滅危惧種ともよぶべき醤油味だった。麺も極く細い。

 隣りのワインバーもレトロな味を出していた。上野広小路近くにはどら焼きの「うさぎや」がある。丸で江戸時代の空間に足を踏み入れた感覚を味わった。

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