国宝松本城

松本のシンボルは松本城。たまたま訪れた6日が夏祭りとぶつかったせいで、祭り見物にきた観光客の城見物と重なり、天守に登る狭く急な階段は大渋滞だった。どうやら、有名観光地・松本城の”渋滞”は恒常的らしい。

松本城は戦国時代の永正年間(1504-1520)初めに造られた深志城(ふかしじょう)のことで、信濃守護・小笠原氏の本城・林城(はやしじょう)を守る支城群の1つにすぎなかった。その後甲斐の武田信玄(出家前は晴信)がこの地を占領し、深志城を信濃支配の拠点とした。弘治3年(1557)の第3次川中島合戦では、この深志城で全軍の指揮を執った。

武田氏滅亡後の天正10年(1582)、本能寺の変による戦国動乱を衝いて筑摩・安曇などの旧領を回復し、深志城の主になったのが徳川家康の支援を受けた小笠原貞慶。貞慶は深志の地を松本に改名し、深志城も松本城となった。

現在みられる松本城の姿の基礎を作ったのは、豊臣秀吉によって同地に入った石川数正とその子・康長。父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、現存する5層6階の天守は康長治世の文禄2年から3年(1593-4)と考えられている。現存天守(12)としては姫路城に次ぐ規模だ。

姫路城は壁が白漆喰であることから「白鷺城」と呼ばれているのに対し、松本城の壁は黒塗りの板張り。「黒烏城」(くろからす城)の別称を持っている。「質素にして華麗、武骨にして優美。相反する要素を持つ天守は『国宝』にふさわしい」(HP「埋もれた古城」ということか。

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