「日比谷図書館」が戻ってきた

日比谷図書館が戻ってきた。虎ノ門でブリーフィングを受けたのち、霞ヶ関から内幸町方面に歩いてきたら、懐かしい建物に灯りが点いていた。建物は2009年3月31日で閉館し、その後、改築工事が延々と行われていた旧東京都立日比谷図書館だ。ひょっとしたらと思って急いで信号を渡ると、やはり開館していた。

リニューアルオープンは11月4日(金)。ちょうど3週間前だ。とにかく懐かしかった。建物の外観は昔のままだし、1階から2階、3階に続く螺旋階段も改築前の階段がそのまま使われている。しかし、内部のレイアウトがガラッと変わったほか、名前も「千代田区立日比谷図書文化館」に改められた。運営主体が東京都から千代田区に変わったからだ。理由は分からない。

名称以外は昔のままの正面玄関

 

昔を思い出させるレトロな螺旋階段

とにかく、日比谷図書館にはお世話になった。勤めた会社の本社が同じ日比谷公園内にあって、本当にお隣同士だった。必死に調べごとをしたり、考えごとをしつつ書架を眺めながらぐるぐる館内を歩き回ったり、閲覧室で学生諸君と一緒に勉強したり、ときには腕を枕に居眠りしたり、地下1階の学食みたいな食堂で好物のカレーライスで胃袋を満たしたり、時には会社のデスクではできない人事評価作業に精出したり、これまた社業とは別のアルバイト原稿を書いたりもした。

記者ならば誰でも夢見る自分の本を書く決意を固めたのも日比谷図書館の閲覧室だった。実際に書き始めるには気持ちを大いに高めなければならない。そこへ持っていくのが大変なのだ。原稿そのものは自宅のパソコンで書いたが、構想を練ったり、著作への取り組みを考えたのは日比谷図書館の閲覧室だった。

大体が3階の第3閲覧室を使った。外の景色が見えるので、集中が切れると、窓の外を眺めた。1階の第1閲覧室も使った。閲覧室としてはここが一番広くて、荘重な気分に浸れる。時間帯が遅いと、人も少なくなり、結構落ちつける。ただ、外を眺めるには低すぎてよろしくなかった。

当時のメモを読み返していたら、自分が初めて書いた『先物ビッグバン』(1999年6月、東洋経済新報社)の著者校正もここでしていた。出版後は書架に並んだ自分の作品を眺めるのが日比谷図書館に来るひそかな楽しみでもあった。

仕事先が本社から記者クラブに変わったり、違う部に異同したり、会社自体が本社を日比谷公園から銀座に移してからも、折に触れ、機会を見つけては日比谷図書館には通った。農水省地下の「藪伊豆」の野菜そばが無性に食べたくなったときにも、その後ここに立ち寄って、しばし知的雰囲気に浸った。

都立中央図書館や国会図書館、経団連会館の図書館、早大中央図書館、地元の光が丘図書館なども好きだが、利便性、大衆性、自分との関係性において、日比谷図書館に優る図書館はない。節目、節目で自分を反省・批判・見つめ直し、対応・対策を絞り・捻り・練り、自分を鼓舞・叱咤激励し、生き続けるための活力・自信を取り戻す。そんな生活が30年以上続いた。

人は独りで何かをしっかり考えようと思った場合、特定の場所が必要だ。自宅の書斎、行きつけの喫茶店、好きな書店以外に、日比谷図書館がそれだった。閉館のときは自分の大切なものが消えてなくなる「喪失感」を覚えた。その日比谷図書館が「日比谷図書文化館」として戻ってきた。昔のままではないものの、昔の面影の一端は残っている。人は思い出なしでは生きられない動物だ。

2階パープルゾーンをのぞく

 

 

地下1階Library Dining Hibiya

 

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.