『真田太平記』

1年がかりで読み終えた

1年がかりで読み終えた

 

書名:『真田太平記』(全12巻)
著者:池波正太郎
出版社:朝日新聞社/新潮文庫

いつから読み始めたか覚えていない。ブックオフでたまたま買ったのは一年ほど前。ベッドに入ってから入眠導入剤的に読み始めた。せいぜい10分もすれば眠くなってそこで読書は終わりだ。

それも毎日となると、ページ数は増える。別の本も読みたくなるから、枕元には常に何冊も本が積み上がっている。しかも、この種の小説は自宅専用、ベッド専用としているので、読み終わるまでどうしても時間がかかる。

1巻を読み終えたら、また次を買ってきたり、ブックオフに在庫がなければ時間がかなり空くし、新刊を買ってきたりもした。図書館で借りて読んだこともある。ハードカバーは揃っていなかった。結果的に文庫本が多い。

それにしても息の長い物語だ。信玄亡きのち、武田家の当主となったのは武田勝頼。信玄の切り開いた東海進出、さらには上洛への道の前に立ちはだかったのは織田信長だった。命運を決したのは天正三年(1575)の三河(愛知県設楽原)で激突した長篠の合戦。

勝頼が信長に大敗したのは鉄砲の数で圧倒されたからだ。500挺弱と3000挺の差だ。猛勇を誇る武田軍の騎馬隊も信長軍の鉄砲隊に息の根を止められた。勝頼は本拠地・古府中(甲府)に逃げ帰った。

信長の長男・信忠を大将とする織田軍約5万が包囲するのは伊那の高遠城。美濃から伊那谷を通って甲斐へ攻め込もうとしている織田軍にとっても、本国の甲斐一国に押し詰められ、敵を防ごうと必死の武田家にとっても、高遠は最後の関門だった。

高遠城は、むかし、伊那の豪族・高遠氏の居城だった。祖父・曾祖父の代から高遠家の家来だった武田家麾下の小山田備中守の長柄組の足軽である向井佐平次も一員として城に籠城。南曲輪の左手にある「法憧院曲輪」をつなぐ土塁の内側に身を横たえ、仮眠していた。

城の周りは織田軍の軍勢が取り囲み、見渡すかぎりに織田軍のかがり火が燃えさかっていた。明日にでも総攻撃が始まると、必ず死ぬのだから、「今夜だけは、しずかに、亡父・猪兵衛のことをおもいうかべながら、ねむりたかった」。母は7歳の夏に亡くなっていた。ときに佐平次は19歳。

そんな佐平次に「明日は、お前、死ぬる身じゃな」とささやいてきた女がいた。曲輪の一隅に、細長い十坪ほどの仮小屋が建てられてい、その中で寝起きしている女だ。女忍びの名前は「お江」。

このお江が亡き父ごの友達に頼まれて佐平次を救いだす。これが長い、長い物語の始まりだ。お江の主人こそ真田安房守昌幸。長男の源三郎信幸、二男源二郎信繁(のちの幸村)の父である。

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