3度目の3.11
3度目の3.11がやってきた。正午からの会合に出たあと、調べ物があって国会図書館に行く。国会議事堂の国旗を眺めたら、半旗になっていた。皇族や首相など国を代表する人物が亡くなったりした場合や大震災などの国民に多くの犠牲者が出た場合に掲げられる。3.11はまさしくそれに匹敵する日だ。
本館で本を借り出したり、新館で雑誌を読んだりしているうちに、いつのまにか震災が起こった午後2時46分を過ぎていた。時間はそんなことを忘れたかのように淡々と時を刻んでいく。
夜7時30分頃帰宅した。NHKテレビは朝からずっと震災報道。午後7時のニュースが8時まで「あれから3年」を報じていた。8時になると、NHKスペシャル「あの日、生まれた命」が始まった。被災地で50人以上の新しい命が生まれた。同じ日に祖母が津波で亡くなったため、子どもの誕生を素直に祝福できないという母親もいた。それぞれの事情がある。
9時からは「ニュースウオッチ9」を見る。番組のキャスター2人が岩手県の堤防の町・田老から生中継で3年経った町の姿を伝えた。3年も経つと、理想と現実の中でさまざまなギャップが生じてくる。
そして10時からは特集ドラマ『生きたい たすけたい』が続いた。見続けることが苦しかった。
3.11を特別な日として、犠牲者に哀悼の意を捧げるセレモニーが被災地を中心に、全国各地で行われた。来年も再来年も続けられるだろう。阪神淡路大震災は来年で20年。これも節目の年として大々的な儀式が予定されている。
問題は、これから何十年、これを繰り返していけば解決するかだ。恐らく解決することは永久にないに違いない。それが分かっていながらも、繰り返していくしかないのだろうか。それでいいのかと思いつつも、それしかないのだろうとも考える。愛する人を失った人たちにはあの時から時間が止まっているのかもしれない。