ルシアン・クレルグ写真展

 

「ルシアン・クレルグ写真展」案内ハガキ

「ルシアン・クレルグ写真展」案内ハガキ

 

昼休み時間を利用して、「リコーイメージングアクエア銀座」ギャラリーA.W.P(銀座5)で開催中のルシアン・クレルグ(1934~2014)写真展をのぞいた。ペンタックスQ7を買ったとき、一度講義を受けたことのある三愛ドリームセンター8F。

絵画展や彫刻展には時々行くが、写真展に行くのはほとんどない。最近では「岡村昭彦の写真」展に出掛けたくらいだ(2014.9.19)。関心も無かった。

それでも最近はもっとましなブログ写真を撮りたいという気持ちから、少しずつ写真のことを考えている。考えてもセンスがないから、少しもうまくならない。どうせうまくならないのなら、高級機を買っても宝の持ち腐れだと、1年前に買ったのもミラーレスだった。

一応、スタンダードと望遠レンズの2本でレンズ交換を楽しめるが、所詮お遊び程度。とにかく、写真のことを四六時中考えているようじゃなくては写真の腕は向上しない。撮っていても、つい面倒臭くなり、何も考えないで、ただやたら滅多に撮りまくっているだけだ。

所詮自分はペン記者だから、勝負するのは文章だと思っても、最近は文章だけではなかなか読んでもらえない。どんな記事でも最低1枚は写真を付けるのが普通だ。

毎度、毎度、センスのない写真ばかりではどうしようもない。何とか少しはうまくなりたい。せめて自分の撮っている写真を技術的にも語れるようになりたいと思っている。シニアになって時間も少しできたので、少しずつ勉強したいとも考えている。

ペンタックスファミリークラブにも入った。機会があるごとに、写真展にも足を運び、たくさん写真を見ることにしたい。撮るほうも、やたら滅多り撮るのではなく、少しずつ考えながら撮るようにしたい。時間とお金も徐々にかけたい。

これまでは文章を書くことに最大限の努力を払ってきた。これからもペン記者であることは変わりないが、情報を伝える意味では写真も同じ。たくさん見て、たくさん撮って、たくさん考えたい。

ルシアン・クレルグ(Lucien Clergue)は1934年、南フランス・アルル生まれ。19歳でアルルの闘牛場でパブロ・ピカソを初めて撮ったときが写真家としてのスタートとなった。1950年代後半よりピカソ、ジャン・コクトーの知己を得ている。

「ギャラリー新居東京」の作家紹介によると、彼は1956年、波のヌード作品で一躍脚光を浴び、1957年にはコクトーが序文を書き、ピカソが表紙をデザインした作品集『記憶される肉体』を出版した。アルル写真フェスティバルの創立者の1人。

女性の顔や全身ではなく、部分を自然の中に配置し、そこから想像力を引き出す手法を取っている。エスプレッソを飲みながら、展示してある25点の作品を眺め、テーブルの上に置かれた『記憶される肉体』のページをくった。

 

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