『蝉しぐれ』再読

 

「文春文庫」版

 

最近、何度も読み返す本が増えている。新刊書を買う回数が激減したのがそのためだが、そればかりとは言えない。一度読んでも、忘れてしまっていることが多いのだ。感動を再びである。

『蝉しぐれ』もその中の一冊。2011年4月21日に読了している。今は毎日が日曜日。東京ビックサイトへの行き帰りに読み続けた。内容はすっかり忘れていたが、読み始めたら少しずつ思い出した。冒頭のシーンは実に印象的だった。

海坂藩普請組の組屋敷の裏手には小川が流れていて、組の者がこの幅六尺に足りない流れを至極重宝にして使っていた。文四朗は玄関を出ると、手ぬぐいをつかんで家の裏手に回った。晴れている日はつい気を引かれて小川のそばに出た。

普請組の組屋敷は、30石以下の軽輩が固まっているので建物自体は小さいが、場所が城下のはずれにあるせいか屋敷だけはそれぞれに250坪から300坪ほどもあり、菜園をつくってもあまるほどに広い。そして隣家との境、家々の裏手には欅や楢、かえで、朴の木、杉、すももなどの立木が雑然と立ち、欅や楢が葉を落とす冬の間は何ほどの木でもないと思うのに、夏は鬱蒼とした木立に変わって、生け垣の先の隣家の様子も見えなくなる。

文四郎が川べりに出ると、隣家の娘ふくが物を洗っていた。「おはよう」と文四郎は言った。その声でふくはちらと文四郎を振り向き、膝をのばして頭を下げたが声は出さなかった。今度は文四郎から顔をかくすように身体の向きを変えてうずくまった。ふくの白い顔が見えなくなり、かわりにぷくりと膨らんだ臀がこちらにむいている。

–ふむ。

文四郎はにが笑いした。

–ふくは、まだ12だ。

—-

悲鳴を上げたのはふくである。とっさに文四郎は間の垣根を跳び越えた。そして小柳の屋敷に入ったときには、立ちすくんだふくの足もとから身をくねらせて逃げる蛇を見つけていた。体長2尺4、5寸ほどのやまかがしのようである。

青い顔をして、ふくが指を押さえている。

「どうした?噛まれたか」

「はい」

「どれ」

手をとってみると、ふくの右手の中指の先がぽつりと赤くなっている。ほんの少しだが血が出ているようだった。

文四郎はためらわずにその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。口の中にかすかに血の匂いが広がった。ぼうぜんと手を文四郎にゆだねていたふくが、このとき小さな泣き声をたてた。蛇の毒を思って、恐怖がこみ上げて来たのだろう。

「泣くな」

唾を吐き捨てて、文四郎は叱った。唾は赤くなっていた。

「やまかがしはまむしのようにこわい蛇ではない。心配するな。それに武家の子はこのぐらいのことで泣いてはならん」

ふくの指が白っぽくなるほど傷口の血を吸い尽くしてから、文四郎はふくを放した。これで大丈夫と思うが、家にもどったら蛇に噛まれたと話すようにと言うと、ふくは無言で頭をさげ、小走りに家の方に戻っていった。まだ気が動転しているように見えた。

しかし翌朝、文四郎が頭上で蝉が鳴いている小川べりに出ると、ふくが物を洗っていた。ふくは文四郎を見ると、一人前の女のように襷をはずして立ち、昨日の礼を言った。ふくはいつもと変わりない色白の頬をしていた。

「大丈夫だったか」

文四郎はそう言ったが、ふくの頬が突然に赤くなり、全身にはじらいのいろが浮かぶのを見て、自分もあわててふくから眼をそらした。

隣の小柳の女房は、醤油を貸せ、味噌を貸せ、時には米や金を貸せとしじゅう物を借りに来るのに、自分から返しに来たためしがない。金はほってもおかれずこちらから催促して返してもらうが、あんなだらしのない人はいないと登世(文四郎の母)はこぼしていた。

それでも登世は小柳の女房が物を貸せ、反物の裁ち方を教えろと来ると、断りもできずにそのつど世話を焼いているのだった。いまも文四郎が見ると、母はむっつりと不機嫌な顔のままで、小さくうなずいた。

「いいです」

と文四郎は言った。

文四郎が承諾したのは、ふくを熊野神社の夜祭りに連れて行くということである。ここ4、5年、ずっとふくを夜祭りに連れて行っており、今年もそれを頼んできたからだ。登世は12になったふくを、もはや子どもとは認めていないのである。そのふくを夜祭りに同道しろという、小柳の女房の無神経さにも腹を立てているはずだった。

藩の内紛に巻き込まれた父・助左衛門は切腹を命じられた。対面が許された文四郎に「わしは恥ずべきことをしたわけではない。私の欲ではなく、義のためにやったことだ。おそらくあとには反逆の汚名が残り、そなたたちが苦労することは目に見えているが、文四郎はわしを恥じてはならん。そのことは胸にしまっておけ」

普請組に車が3台あって、うち1台は2人曳きの小さいもので、甚兵衛がそれをかり出しに行ってくれていた。2人曳きの車を1人で曳いた。車の輪は頑丈で重く、棍棒は太かった。遺体をのせてひき出すと、たちまち車の重みが身体にこたえて来た。時間が9ツ(正午)を廻って、腹がすいて来たせいもあるだろう。

—これでは・・・・・。

いちばん近い道を帰るほかはなさそうだ、と文四郎は思った。早くも流れる汗を袖でぬぐって車の上を振り向くと、羽織でもあらごもでも隠しきれなかった助左衛門の青白い足先が見えた。

車を雑木林の横から矢場町の通りまで引き上げたときには、文四郎も道蔵(途中から助っ人に来てくれた道場の後輩)も精根尽き果てて、しばらくは物も言えずに喘いだ。車はそれほどに重かった。

喘いでいる文四郎の眼に、組屋敷の方から小走りに駆けてくる少女の姿が映った。たしかめるまでもなく、ふくだとわかった。

ふくはそばまで来ると、車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって棍棒をつかんだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、ふくは一心な力をこめて棍棒をひいていた。

文四郎は家を移った。引っ越しにふくは顔を見せなかった。そして文四郎は親友の小和田逸平と江戸遊学に出た島崎予之介と情報を交換しながら、育っていく。文四郎を訪ねたものの、会えなかったふくは13で江戸に行き、お福さまとなって殿の新しい側女めになっていた。

里村家老に対する怒りには「よくも罠にはめてくれたな」とものずごいものがあった。眼がくらむような怒りのなかで、文四郎は里村家老にひと言申すべきときかと思った。

里村が向かっている机から3間ほどの場所に座った。

「軽輩とみて、侮られましたな」

肩肘を立てると八双からの剣をふるった。脚を2本切られた机が傾き、机の上の書類や書籍が音たてて畳になだれ落ちた。刀をさやにもどしながら、文四郎は言った。

「その気持ちは、かようなものです」

「侮りを受けてはそれがしも武士、黙過しがたくかような振る舞いにおよびましたが、お腹立ちならどうぞいつでも討手をおむけください。尋常にお相手をいたします」

捨てセリフを言えたのが気持ち良かった。

「蝉しぐれ」は最終章。あれから20年余の歳月が過ぎた。若い頃の通称を文四郎と言った若者は牧助左衛門と名乗り、郡奉行になっていた。大浦郡矢尻村にある代官屋敷にいた。

白連院は藩主家ゆかりの尼寺。そのの尼になることを決めたお福が会いたいと言ってきた。さきの藩主が病死して1年近い月日がたっていた。おそらくお福さまは、その1周忌を前に髪を下ろすつもりなのだろう。

助左衛門はおよそ2里ほど道を馬で駆けた。蓑裏の湯宿に行った。お福は身を隠していた。

「江戸に行く前の夜に、私が文四郎さんのお家をたずねたのをおぼえておられますか」

「よくおぼえています」

「私は江戸に行くのがいやで、あのときはおかあさまに、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みに行ったのです」

「・・・・・」

「でも、とてもそんなことは言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家に戻ったのを忘れることが出来ません」

お福さまは深々と吐息をついた。食い違ってしまった運命を嘆く声に聞こえた。

「この指を、おぼえていますか」

お福さまは右手の中指を示しながら、助左衛門ににじり寄った。かぐわしい肌の香が、文四郎の鼻にふれた。

「蛇に噛まれた指です」

「さよう。それがしが血を吸って差し上げた」

お福さまはうつむくと、盃の酒を吸った。そして身体をすべらせると、助左衛門の腕に身を投げかけてきた。2人は抱き合った。助左衛門が唇を求めると、お福さまはそれにもはげしく応えて来た。愛隣の心が助左衛門の胸にあふれた。

 

哀惜は名状しがたい。

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