ふるさと回帰フェア2005
「現在、田舎暮らしを応援する団体や行政、実践している個人・グループは、各地域で活発に活動を始めています。しかし、それらを全国的に、一元的につなぐものは残念ながら未だありません。私たちは、全国各自治体で進めている定住への支援事業や空き家・遊休地情報をつなぎ、ふるさと回帰運動を進めている団体・グループ間をつなぐネットワークを作っていきたいと考えています」
「そして、帰農・就農、就労等だけでなく、一時的に地方に滞在し、また定年後に年金を糧に田舎暮らしをするなど多様な形で地方・農山漁村に回帰し、健康で安らぎのあるより豊かな生活を楽しむことを考えている人々を支援していきたいと思います」
上は、「100万人のふるさと回帰・循環運動推進・支援センター」(略称「ふるさと回帰支援センター」)の会員加入のための案内文だ。呼び掛けているのは作家で、同NPO理事長の立松和平氏。9月16日夜、東京・大手町の日経ホールで開かれた同NPO主催「ふるさと回帰フェア2005」の前夜祭に参加した。
「いま、団塊世代のふるさと暮らしが新しい」と銘打ったパネルディスカッションでは立松和平理事長の基調講演に続いて、関広一小千谷市長、藤田和芳大地を守る会会長、甲斐良治増刊現代農業編集主幹、それにふるさと暮らしの実践者として千坂敬悦氏(飯山市)、宮内克之氏(鴨川市)が語った。
パネリストそれぞれが自分の立場から、田舎暮らしのすばらしさ、都会人のふるさと回帰を求めている地方の声を伝えたが、ふるさとへの回帰を決めるのはNPOでも行政でもなく、本人。本人にその気がなければ意味がない。新しい価値観の下に、田舎暮らしを始める人もいるだろうが、しっかりしていると思った価値観が予想外に脆くて、田舎暮らしを始めたものの、挫折し、都会に舞い戻ったというケースも少なくないと聞いている。田舎暮らしはそんなにばら色ではないはずだ。誰にだって適性がある。適性のない人だっているはずだ。
パネルディスカッション終了後の懇親パーティーで次々とマイクの前に立ち、あいさつする顔ぶれを眺めていたら、ようやくこの運動の姿が見えてきた。全国農業協同組合中央会(JA全中)、日本労働組合総連合会(連合)、「日本経済団体連合会」(日本経団連)。さらには総務省、農水省、国土交通省、環境省。つまり、オールニッポンである。
意地の悪い見方をすれば、農業にど素人の都会人がドカドカと農村に入り込んできて、既存のコミュニティーに踏み込んでくることを寛大、寛容な気持ちで、すべての農民が受け入れてくれるとは限らないし、それを歓迎しない人だっていないほうが不思議だ。いろんな考え方があって当然だろう。地方だって、都市生活者から一方的に押し掛けられたら、迷惑である。
田舎暮らしがすばらしいものばかりとは思えない、というのが田舎に継ぐべき家を持つ私の実感だ。「ふるさと回帰」を考えているとしても、それはあくまで、「家を存続する」ためのもので、いわば、極めて”防衛的”な田舎ぐらし指向だ。少なくとも今のところはそうだ。稼げない田舎では生活が成り立たない。それをどう調和させていくか。
郷里の家の存続に見切りを付け、都会残留を決断する友人・知人が圧倒的に多い中で、田舎の家の存続を決断した者にとっては、「ふるさと回帰」はそんなに楽しいことではない。むしろ、しんどい。もちろん、どこかの地点で、「楽しい暮らし」に転換したいが、差し当たりは、「守り」を意識した対応だ。懇親会の場で誰かが言っていた「兼業兼居」という発想が現実的かもしれない。それにしても、田舎暮らしについて考えさせられた一晩だった。