試写会:戻ってきた『男はつらいよ50 お帰り寅さん』

 

お帰り、寅さん

 

作品名:『男はつらいよ50』お帰り寅さん
監督:山田洋次
キャスト:渥美清/倍賞千恵子/前田吟
吉岡秀隆
後藤久美子
試写会:2019年11月18日@松竹本社試写室
12月27日全国ロードショー

 

 

葛飾区柴又に「題経寺」という日蓮宗のお寺がある。祀っているのは日蓮聖人自刻と伝えられる「帝釈天」像の板木。これがご本尊である。寺自体は寛永6年(1629年)に開山されたが、安永8年(1779年)に本堂改築に際して帝釈天像が見つかり、以降「柴又帝釈天」として有名になった。

 

寅さんの出生は葛飾柴又で、名付け親は山田洋次監督だった(2013年1月20日撮影)

柴又帝釈天は昔からそれなりに知名度は高かったが、その名を不動にしたのは1969年8月に劇場公開された『男はつらいよ』第1作である。私は2013年1月20日に参拝している。そのときの写真も再度使用した。

私 生まれも育ちも
葛飾 柴又です
帝釈天で産湯をつかい
姓は車 名は寅次郎
人呼んで
フーテンの寅と発します

 

山田洋次が原作・脚本・監督(一部作品を除く)を務め、渥美清(あつみ・きよし)主演で製作された映画『男はつらいよ』シリーズ。1969年の第1作公開から、97年公開『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別編』までの28年間に、全49作品が劇場公開された。

「男はつらいよシリーズ50年の歩み」によると、「男はつらいよ」はもともと、68年に山田洋次脚本・渥美清主演でテレビドラマ(全26話)として誕生。打ち合わせで、少年時代に憧れたテキ屋たちの思い出を生き生きと語る渥美清の姿に触発された山田洋次がイメージを膨らませ、主人公「フーテンの寅」が生まれた。

しかしそのテレビ最終回、寅がハブに噛まれて死んでしまうというエピソードが放送されると、視聴者からの抗議が殺到。これを受けた形で、山田洋次監督による映画化が始まることになった。

誰もが笑って元気になれる映画『男はつらいよ』シリーズは、高度成長期を歩む日本国民の心をつかみ、一躍大人気作品にのし上がった。多いときには1年の間に2~3作品が公開されるほどだった。老若男女を問わず、歓迎された。

83年には「1人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズ」としてギネスブックに認定された。渥美清が他界する97年まで作り続けられた。現在も「男はつらいよ」や寅さんファンは数多く、幅広い世代から愛され続ける国民的映画だ。

 

草だんごのとらやさん(2013年1月20日撮影)

 

寅さん役は渥美清以外では考えられないと思ってきた山田洋次監督だったが、「寅さんにもう一度会いたい」と思うようになったようである。『母と暮らせば』公開直後の2015年暮れのことだったという。

2019年は第1作公開から50周年になる。「どんなものになるか見当もつかない」という異例のスタートだった。プロダクションノートは「男はつらいよ」復活のアイデアについて、「シリーズ全49作、時間にして83時間以上のフィルムを何回見ただろうか。繰り返し見ていくうちに、赤ちゃんから小学生~中学生~高校生~浪人生~大学生~社会人と変遷していく満男の成長という視点で眺める面白さを発見し、膨大な映像から『満男、奮闘編』と題して2016年春に1時間ほどの映像を編集した」と書いている。

「満男が思春期から大人へ成長する中、寅さんという”おじさん”がいたことで満男はどんなに救われたか。おじさんの役割や大切さを今にして思った」という。

そういう中から、満男と初恋の人・イズミ(後藤久美子)の再会を軸とした脚本が練られていった。満男は小説家で、妻を亡くし、中学3年生の娘と2人暮らし。イズミは海外で国連難民高等弁務官(UNHCR)事務所の職員として夫と2人の子どもと暮らしている。

このイズミが仕事で来日し、書店で行われた満男のサイン会にたまたま現れることから物語は始まる。

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