人情喜劇「銀の馬車道」

①人情喜劇「銀の馬車道」

②夕闇に浮かび上がる姫路城

 明治政府は、殖産振興の一環として生野銀山を国有化し、フランス人鉱山技師を招いて最新設備導入による増産を計画。それに伴い、生野銀山と飾磨港との南北約49キロに、産出された銀や精錬・精鋼に必要な石炭、そこに働く人たちの日用品などを運ぶ「生野鉱山寮馬車道」(愛称・銀の馬車道)を明治9年(1876年)整備した。

 この「銀の馬車道」は当時の技術の粋を集めた物流専用道路で、いわば”日本初の高速産業道路”。その後、更なる輸送力向上のため、播但鉄道(現JR播但線)が明治28年(1895年)開通したことで、20年足らずで姿を消した。

 朝来市→神河町→市川町→福崎町→姫路市を結ぶ2市3町の沿線は今では大部分が国道や県道になったが、ルートをたどれば、記念碑など当時の面影を偲ばれるという。兵庫県では日本の経済発展の礎を築いた「銀の馬車道」を中播磨地域の南北交流のシンボルとしてプロジェクト化し、様々な事業を展開している。

 生野銀山は大同2年(807年)の開坑と伝えられているが、それを裏付ける文献は存在しない。古文書には天文11年(1542年)の開坑と記されている。織田信長、徳川家康など時の政権基盤を支える重要な資金源だった。最盛期は16世紀末から17世紀半ばまで。以後、徐々に衰退の道をたどる。

 人情喜劇「銀の馬車道」もその1つで、NPO法人姫路コンベンションサポートが立ち上げた演劇。劇団は俳優24人、スタッフ9人の計33人で構成。子供から老人までが幅広く参加。物語は舟運→馬車交通→鉄道へと移り変わる交通史の節目を描いている。神戸新聞社創刊110周年記念事業「地才地創シンポジウムin中播磨」(12月6日、姫路キャスパホール)。

 舞台は明治6年、秋祭りの時期。福崎町辻川の庄屋に、祭りの酒で血走った船頭たちと喧嘩になったフランス人医師が逃げ込んだところから始まる。銀山から港町までの輸送を取り仕切ってきた船頭たちは、自分たちの職を奪う「銀の馬車道」建設に協力するや否や?!

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