「それでもボクはやってない」

『十人の真犯人を逃すとも、
一人の無辜(むこ)を罰するなかれ』 

 人が人を裁いてきた歴史の中から生まれた法格言だという。この刑事裁判の原則について考えた映画が周防正行監督・脚本「それでもボクはやってない」。シネ・リーブル神戸で観た。テーマは痴漢冤罪事件。優れて今日的なテーマだ。

 全ての男が痴漢行為の動機を持っている。これは否定しようがない。「なぜそうなのか」と追求されても、「男だから」と答えるしかない。満員電車に乗って、あらぬ疑いを掛けられたら、無罪を自分で立証しない限り有罪になる、なんて全く無茶な話だ。悪意を持った女性に目を付けられたら、逃れられないということなのだろう。

 さわさりながら、ひったくりや強制わいせつ、痴漢などの迷惑行為の被害者はだいたいが女性だ。加害者は男である。新聞に載らない事件は毎日、驚くようにたくさん起こっている。卑劣な行為をする男は許せない。

 警察・検察は国家権力である。人々の自由を拘束する逮捕権、罪を問う公訴権を持っている。これは大変な権力だ。正当に行使されれば、問題ないのだが、そうでないところに問題がある。それも警察官や検察官、裁判官といった個人ではなく、人が人を裁くシステム自体が問題を孕んでいるのでは恐ろしいことだ。

 怖くて、落ち着いて満員電車なんか乗れない。女性の近くになんか行けない。なるべく離れて、問題の発生を回避するのが賢明だ。恐ろしい時代である。問題は人ではなく、システムに潜んでいるのなら深刻である。この映画は問題の所在を教えてくれる教材だ。

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