尼崎・寺町

 尼崎と言えば、阪神工業地帯の中核だが、ここがかつて城下町だったことを知る人はどれだけいるだろうか。イメージできないのが本当のところだ。ところが、である。阪神・尼崎駅近くの庄下川沿いに昔を思い起こせる模擬城壁が造られていた。そのことに先日気づいた。

 尼崎は京と西国を中継する港湾都市として栄えた。徳川幕府にとって大坂城は西国支配の拠点で、尼崎は大阪城の西の守りを固める重要な位置にあった。2代将軍徳川秀忠が戸田氏鉄(とだうじかね)に命じて造らせたのが尼崎城。元和3年(1617年)のこと。

 尼崎城の築城に取り掛かった氏鉄は、城下町を建築するに当たり、散在していた寺院を、城の西に当たる現在のところに集めて「寺町」を作った。今も当時とほとんど変わらず、約3.9haの区域に11カ寺が集中している。

本興寺(法華宗4大本山の1つ)
金昌寺(曹洞宗)
常楽寺
広徳寺
善通寺
甘露寺
法園寺
大覚寺
長遠寺
如来院
専念寺
①本興寺境内の「お会式桜」(おえしきさくら)


②寺町都市美形成地域

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