「プルシアンブルー」

 絵画の世界で海や空の色である青(ブルー)を出すのは非常に難しく、日本でも辛うじて「藍」(染料)と「群青」(顔料)が使われる程度だった。しかも、染料は退色する欠点を持っていたという。

 そうした状況を一変させたのが化学合成で偶然作り出された絵の具「プルシアンブルー」。1704年、プロシア(現在のドイツ)のベルリンで発見された。1724年にはイギリスの論文で作り方が発表され、ヨーロッパ中に広まった。

 日本に渡来したのは1747年のことで、オランダ船によって運ばれた。平賀源内が本でプルシアンブルーを紹介したのは1763年。長崎の洋風画家・若杉五十八がプルシアンブルーを使って油絵で「洋船図」を、1795年には司馬江漢が「相州鎌倉七里ヶ浜」を描いている。

 単色の墨摺版画だった浮世絵が多色摺木版画・錦絵に変貌したのは明和2年(1765)のこと。浮世絵の第一人者として有名な葛飾北斎は代表作「富岳三十六景」シリーズで、このプルシアンブルーを多用。浮世絵風景表現を一変させた画期的な顔料となった。

 7月21日、神戸市立博物館で「西洋の青-プルシアンブルーをめぐって-」と題する特別展が始まった。伊藤文化財団や礫川浮世絵美術館が協力している。会期は9月2日まで。

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