サムライジャパン、PK戦に散る

  サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦で日本はパラグアイとのPK戦で敗れ、ベスト8進出はならなかった。前半・後半戦90分を戦い、さらに延長戦の30分も互角の死闘を演じたものの、最後のPK戦では勝利の女神がパラグアイに傾いた。

 日本のサッカー史上でも決勝T進出は国外では初めて。こういう試合は見ておかなければならない。そんなに熱心なサッカーファンではないけれど、今後長く語られるであろう試合は自分の目に刻み込んでおく必要がある。それにしてもPK戦は残酷なものだ。

 南米はサッカーが盛んで、南ア大会の決勝にはパラグアイのほか、ウルグアイ、ブラジル、アルゼンチン、チリの5カ国が進出。チリはブラジルに敗れたものの、4チームが8強入り。パラグアイは大国ブラジルやアルゼンチンの影に隠れて、目立たないが、なかなかのチームである。

 このパラグアイに12年前の1998年8月に行った。とにかく遠い。ロサンゼルスまで12時間、そこからブラジル・サンパウロまでまた12時間。そこでまた乗り換えて首都アスンシオンまで2時間。丸々1日かかってたどり着いた。

 国際協力機構(JICA)が同国に援助した職業訓練センター(CEV)開校20周年を機会に、国民の視点でプロジェクトを評価する調査団に参加した。2週間滞在したが、首都と言っても、日本ののどかな地方都市の趣だった。

 サッカーが盛んなことは知られており、至るところでボールを蹴っている少年たちの姿を見た。しかし、そんなに整備されたグランドがあるようにも思えなかったし、貧しそうだった。これといった産業もない。あるのは農業と観光資源のイグアスの滝ぐらいだ。この滝もブラジル、アルゼンチンとの3カ国国境にまたがっており、通常の観光客はブラジル側に入国して見物する仕組みだ。

 明るい材料としてはこの農業で、移住日系人が栽培を手掛けた大豆。同国の土壌にぴったり合って、生産性が飛躍的に高まった。有力な輸出資源として当時期待され、今では日本も輸入。われわれの口にも入っているはずだ。サッカーを見ながら、久しぶりにパラグアイのことを思い出していた。思い出は多いほうがよいようだ。歳をとってからは思い出を食べて生きるのだから。

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