「発明は必要の母」

創造の部屋

創造の部屋(樫尾俊雄氏の書斎)

 

創造の部屋にあるデスク

部屋に入ってすぐ右手にもデスク

 

リレー式計算機

世界初の小型電気式計算機「14-A」

 

記念館の入口

重々しい木のドアを開ければ、中が記念館

 

右手には表札が掛かっており、今も家人が住む

住宅街の一角で、今も家人が住む

 

カシオ計算機を創業したのは樫尾4兄弟だということは有名だ。4人とも個性が違っていて、兄弟が助け合って今のカシオを作りだした。

その長男が樫尾俊雄氏で、カシオの製品はすべて彼が考え出した。「私はもとを考えるだけ。作ることは全く苦手だった」と本人は生前語っている。同社では研究開発本部長、代表取締役会長を務めた。

樫尾俊雄氏は2012年5月に87歳で死去。生前住んでいた自宅を現在、樫尾俊雄発明記念館(東京都世田谷区成城4-19-10)として一般に無料公開している。

 

 

 

 

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