「新冷戦」時代が復活したのか

会見する下斗米伸夫法政大学教授

会見する下斗米伸夫法政大学教授

 

テーマ:研究会「ウクライナ」
会見者:下斗米伸夫(しもとまい・のぶお)法政大学教授
2014年3月20日@日本記者クラブ

2日前にモスクワから帰国したばかりだというロシア・ソ連政治史の泰斗はクリミア情勢の急展開でめくるめく時間を過ごしたと述べ、気分も高揚していた。

ロシアのプーチン大統領は17日、ウクライナからの分離・独立を決めたクリミアを独立国として承認する大統領令に署名した。親ロシア派のクリミア自治共和国は16日の住民投票で、ロシアへの編入を承認。ウクライナからいったん独立し、国家の資格でロシアと統合する条約を結ぶ方針を決定していた。ロシアがクリミアを国家承認したことで、クリミアをロシアに編入する環境が整った。

この結果、旧ソ連圏の盟主・ロシアと、第2の大国でロシアにとって兄弟国でもあるウクライナとの関係は敵対的なものになった。

下斗米教授の1時間に上る熱のこもった解説を聞きながら、自分がウクライナ情勢を全く理解できないことを知って愕然とした。日本や米国、欧州に関することならば、政治、経済から安全保障、科学、芸能に至るまで大体キャッチアップする自信を持っているつもりだが、ウクライナやクリミア情勢についてはどうにも付いていけなかった。

レジュメを見ても理解できない。言葉がぎっしり書かれているものの、それになじみがないからだ。幾ら言葉を費やされても、バックグランドがなければ、頭に入ってこない。要は関心が向いていなかった。もう片付いた問題だと思っていた。ところがどっこい、そうではなかった。

ソ連邦は1991年に崩壊した。ソ連邦を構成していた東欧諸国は雪崩を打って欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加入し、西側の境界線は東方に伸びるばかり。バルト3国もEU、NATOに加入し、ロシアの勢力圏は縮小の一途をたどった。これがソ連邦崩壊以降の欧州の歴史だ。

 

ウクライナ

ウクライナ地図(出典: 2001 Ukraine Census)

 

ウクライナ情勢の鍵を握っているのが同国南部で黒海に突き出たクリミア半島だ。黒海の重要性は今や薄れているはずだが、かつて「クリミアを支配するものは黒海を制する」(作家K・シーモノフ)と言われたほどだ。歴史上、繰り返し大国が勢力圏を争う舞台となった。

クリミア半島は、1783年にオスマン・トルコ帝国との戦争に勝利したロシア帝国が自国領に編入。黒海艦隊を形成した。19世紀半ばには南進するロシアと英仏トルコなどとの間でナイチンゲールも従軍したクリミア戦争が起きた。第2次大戦中にはナチスドイツが侵攻。独側への協力を恐れたスターリンが先住民のイスラム系タタール人を中央アジアに追放した結果、現在は人口200万人の約6割をロシア系住民が占める。

現在に至る対立の起点は1954年協定。ソ連のフルシチョフ第1書記がクリミア半島を当時のロシア共和国からウクライナ共和国に編入したことにある。91年にウクライナが独立したことで、少数派となったクリミア半島のロシア系住民による独立運動が激化した。ウクライナ政府は97年、ロシアがセバストポリの黒海艦隊基地を使用することを認める協定を締結している。

ロシアにとって、クリミアは自ら守り続けてきた土地であるとの意識が強い。黒海艦隊が地中海を経てグローバル展開する上での拠点で手放せないとの気持ちも強いはずだ。

ただウクライナは独立したとはいえ、ロシアとの依存関係は深く、従属関係にあった。ともにスラブ民族で、どちらもキリル文字を使うなど言葉も近い。宗教もビザンチン帝国(東ローマ帝国)の系譜を受け継ぐ東方正教会。兄弟国家と言われるゆえんだ。

しかし、東欧諸国のEU化は時代の流れ。2004年の大統領選では親欧米のヴィクトル・ユシチェンコ氏と親ロシアのヴィクトル・ヤヌコビッチ氏が戦い、やり直し決戦再選挙(12月26日)の結果、ユシチェンコ氏が勝利した。「オレンジ革命」と呼ばれる。首相の座に就いたのが盟友で美貌のウクライナ女性ユーリヤ・ティモシェンコ氏だった。

 

2010年大統領選投票結果(赤:ヤヌコビッチ氏に投票)

2010年大統領選投票結果

 

2010年の大統領選挙にヤヌコビッチ氏が再出馬し、決戦投票でティモシェンコ氏に勝ち、大統領に就任した。ティモシェンコ氏は11年、職権乱用罪で逮捕され、獄につながれた。西側諸国は有罪判決は政治的動機だと避難した。

ヤヌコビッチ氏は親ロシアながら、EU加盟を目標に掲げ、EUとの連合協定に向けた協議を続けてきた。しかし、13年11月28日、ヤヌコビッチ大統領は同連合協定署名の先送りを発表。これに対し、市民が大規模な抗議行動に立ち上がり、その後3カ月にわたって混乱が続いた。

今年2月18日には反政権側と治安部隊による大規模な衝突が発生。19日までの2日間で75人が死亡したと報じられる。デモは戦闘に発展し、ヤヌコビッチ政権は崩壊した。それぞれの背後に欧米とロシアが存在し、熾烈な場外乱闘も繰り広げられた。

危機感を抱いたロシアが遂に軍事行動に出た。それだけ追い詰められたわけだが、このことによる国際情勢に及ぼす影響は大きい。領土問題を抱える日本への影響も深刻だ。

冷戦が終結して四半世紀。25年間に世界が模索してきた国際秩序が破られ、新たな対立が噴出したことで、国際社会の秩序は昔に戻りかねない。冷戦時代なら、米ソの勢力均衡でそれなりのバランスが取れたが、「新冷戦」下では米国の力が大きく後退、中国も国際秩序形成への力になるというよりもむしろ撹乱要素の色合いが濃い。

ロシアも大国意識ばかりが強く、現実認識を欠いている。G8からロシアが排除され、G2にはほど遠く、国際社会の実態は「Gゼロ」に陥ったとの見方が強い。支配的な力を持った政府が存在しなくなれば、国際社会は漂流するしかない。

新国際秩序が形成されるまでには時間がかかる。落ち着かない、流動的な時代がやってきた。1極集中の時代も困るが、多極というより「無極」の時代はもっと大変ではないか。とにかく、生きにくい時代がまたやってきたと思う。なぜ世界はこんなことになるのか。

ロシアが「核心的利益」とするクリミアを武力で制圧し、力で国境線を変更したことは民主主義の精神に違反し、国際秩序を破ったことで、米欧日との対決は決定的になった。果たしてこれを「新冷戦」の復活と見るべきか。

下斗米教授は「新冷戦と呼ぶのは言い過ぎ」だとしながらも、「新冷戦的な異常に巨大な地域紛争」と表現した。かつての冷戦時代とは違って、相互依存関係が強まっており、そう簡単に全面対立できないのが実情だからだ。バランスを取ることが重要だと指摘する。また、難しい時代がやってきたものである。

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