『ある精肉店のはなし』

ポレポレ東中野のショーウィンドウの掲示

ポレポレ東中野のショーウィンドウの掲示

 

作品名:『ある精肉店のはなし』
監督:纐纈あや(はなぶさ・あや)
出演・北出精肉店の人たち
北出新司(59歳、長男) 店主
北出昭(58歳、次男)
浅野澄子(62歳、長女)
北出静子(66歳、新司の妻)
北出二三子(87歳、兄弟の母)
ラッキー(3歳、飼い犬)
上映館:ポレポレ東中野

 

これは大阪府貝塚市に今も存在する1軒の肉屋「北出精肉店」(貝塚市堀)を舞台にしたドキュメンタリー映画だ。貝塚市と聞けば、シニア世代は、反射的に実業団女子バレーボールチーム「ニチボー貝塚」(大日本紡績貝塚工場、現ユニチカ)を思い出す。

東京五輪(1964年10月)でニチボー貝塚を主力とした日本チームが金メダルを獲得、世界から「東洋の魔女」と呼ばれた。とにかく、日本中が熱狂したのは50年前のことだ。バレーボールチームそのものは2000年に東レ(滋賀県)に移管され、46年間の歴史の幕を閉じている。

北出精肉店は、牛の飼育から屠畜(とちく)・解体、販売までのすべてを、家族労働で手掛けている。掲げられた「肉の北出」の看板の上に「生産直販」と書かれているのが単なる肉屋と違うプライドを感じる。

映画は、牛が牛小屋から引き出され、住宅街を歩いて行くところから始まる。600kgもある大きな牛で、力強い。すぐ近くにある市営の屠場(貝塚市立と畜場)まで行くのだ。昭さんが手綱を持って踏ん張る牛の眉間を、新司さんがハンマーでコツンと叩く。牛はころんと横倒しになる。

その瞬間、眉間に空いたちいさな穴に素早くワイヤーを通す。神経が破壊されるから、牛はもう痛みを感じない。そこから屠畜解体作業が始まる。近代的な屠場では作業は機械化され、分業化されているが、北出家では家族で行っている。

屠畜解体は「包丁さばきが幅を効かす手の熟練労働だ」(ルポライター、鎌田慧氏)。風呂敷を解くように、皮をはがしながら広げていく手むき作業は芸術だ。皮むきは4人の共同作業だ。

気絶させてから枝肉にするまで約1時間。4人が自分の役割を把握し、息の合ったチームワークは見事だ。1頭の牛から、約150キロの内臓が取り出される。これを水洗いし、きれいに処理するのは、澄子さんと静子さんの仕事だ。

2012年3月31日。102年続いて、北出さんたちの仕事場になってきた屠場が閉鎖された。かつては村の人たちが自分の育てた牛をここに連れてきて、自分たちで屠畜し、解体していたが、最近はここを使うのは北出さん一家だけになっていた。

映画の冒頭シーンはこの最後の屠畜が行われる日に、牛がこの屠場に連れてこられるシーンだ。「いのちが血となり肉となり」する。私たちは日常的にステーキやすき焼きやハンバーグを食べているが、そのための作業を北出家の人たちが私たちに成り代わってやってくれていたのだ。

「生き物由来でない食物は存在しない。生きることは命を交換すること。いただきます、とは命をいただくということ」(生物学者の福岡伸一氏)である。

見終わったら、すっかり暗くなっていた

見終わったら、すっかり暗くなっていた

 

映画のパンフレットによれば、「北出家のルーツは、江戸時代末期の1847年まで遡ることができる。北出家はそのころから死牛馬の処理を生業としてきたと思われる。明治後期から昭和30年代までは、貝塚市堀町で日本最大規模の泉南家畜市場が開かれていた。4のつく日に市が立ち、子牛から成牛まで取引頭数は1回に1000頭を越えた」という。

先代の静雄さんは、ここで牛を買い付けて自宅の牛舎に係留し、屠場に連れて行って解体処理を行い、枝肉を近辺の小売店へ卸していた。新司さんと昭さんは小さいころからこの家畜市場や牧場へ共に行き、父親から牛を見極める目を養われた。

この映画のもう1つのテーマは被差別部落の問題でもある。映画の中でも「獣の皮を剥ぐもの」への差別撤廃を求める部落解放同盟の活動を取り上げている。新司さんが解放運動を行っていたからだ。

太田恭治氏(あとりえ西濱主宰)は同パンフレットの中で、「一家の住む東地区はかつて嶋村といわれ、同地区に住む人たちは江戸時代、生業は農業だったが、岸和田藩の掃除、警吏(刑場の下働き・町の警護など)などの役目も担った。死んだ牛馬の処理も受け持った。死んだ牛馬に触ると穢れるという考え方が支配的な一般社会からも差別を受けていた」と書いている。

嶋村の人たちは幕府からも公然と差別を受けていたが、太田氏によれば、「武士も庶民も『薬喰い』と称して、実は肉を食べていた」という。穢れ意識は根拠がないと指摘している。ただ、薬喰いは例外で、江戸時代に基本的に屠畜はなかった。

「日本では職人が尊敬される。時には、学問することより職能をもっている方が重要だとみなされる。能役者も歌舞伎役者ももとは被差別の人々だが、その職能への尊敬によって、差別のことは語られなくなった。重要な職能は世襲されることが多い」(田中優子法政大学教授)。

田中教授は「子どものころから仕事を見て育ち、他の者が真似できない能力を身につけるのだから、その存在は貴重だ。世襲される仕事はとりわけ、社会から必要とされている。職能がもっと語られてもよいはずである」と強調する。

自分の生まれた郷里にも、そうした仕事を営む部落があった。親からも周囲からもその話はよく聞いた。しかし、そうした指摘は根拠のないことであることがこの映画を見てはっきり分かった。

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