快気祝い
退院してから2カ月以上経った。時間の経つのは何とも早い。入院していたことが遙か昔のような思われる。あれだけ苦しんでいたのがまるでウソのようだ。もちろん、手術の傷跡はしっかり残っており、ときおり傷口が痛むが、普段は忘れている。
忘れることができるからこそ、人間は生きられる。忘れることができなければ、非常に具合が悪い。妊婦も出産の苦しみを忘れるからこそ、2人目を産み、さらに3人目を産んだりする。
入院中に何かと励ましのメールをくれた友人と新宿で飲んだ。会社は違うが、昔、神戸で世話になった。この日は私の全快を祝ってくれた。嬉しかった。アルコールは基本的に控えているが、少しは飲むようにしている。飲むのを我慢することのほうが体に悪いと勝手に解釈している。
友人も大病を患ったばかり。今も3カ月ごとに医者の診察を受け、経過観察しているという。当然、酒の肴は病気の話が中心だ。新しいことを始めるのではなく、いかにして生活を縮小していくかがシニア世代の最大のテーマだ。
とはいうものの、なかなか人間が枯れない。俗人気質が抜けない。生に執着している自分がいる。自分の扱い方が分からない。いやはや、人間は何とも、厄介な存在だ。