ペン記者の感慨
週3日、2年3カ月にわたって通ったオフィスを事実上撤収した。35年間の会社勤めを終えた後、フリーになった私に声を掛けてくれる人がいて、2年前にオンサイト勤務に戻った。
もちろん、行ったり行かなかったりの気ままなアルバイト勤務で、拘束感はなかった。いったんフリーになった身で、曲がりなりにも再度タイムレコーダーを押す勤務に戻るのは辛かったが、慣れてみると、むしろ「拘束されることの快感」を感じていた。
オンサイトワークは時間給勤務。職場に行けば、それに応じた時間給が支払われる。仕事の中身ではない。成果主義ではなく、拘束時間に対する報酬だ。楽と言えば楽だが、仕事に対する緊張感はどうしても薄れる。自分なりの自己規律を課していたつもりだが、時間が経つにつれ、マンネリズムに陥っていった。
2年間に手掛けた仕事のファイルを整理した。1つの企画記事を書くごとに、調べたり読んだりしたした資料や取材メモ類を収めた1件分のファイルができた。バイラインで書いた記事は20本ほどになった。満足のいく原稿もあれば、不満足なものもある。
資料をファイルから出し、ホチキスの針を外す作業に没頭した、高さを測ったら30cm以上あった。一度終わったと思ったら、忘れていた資料が出てきて、また作業を続けた。最初は気が遠くなる作業だった。しかし終わると、気分爽快だった。
資料は紙でないと、読んでも頭に入ってこない。赤ペンで線を引き、汚しながら読まないと、読んだ気にならない。体の中に入ってこない。そんな風にしてこれまで何十年も仕事をしてきた。今さら変えられない。
資源(紙)の無駄遣いと言われればそうかもしれないが、そうでないと理解できないのだから仕方がない。こういうペン記者はもう化石なのかもしれない。いまだに手書きで原稿を書いている先輩記者もいる。彼らを笑えなくなってきた。時代は変わるものだ。
それにしても、何かを新しく始めるときにはそれなりの高揚感、期待感を覚えるものだ。一方、一定期間やってきたことをやめるときは今度は寂寥感や喪失感を覚えるものだ。人生はこうした感情の繰り返しなのかもしれない。大量の紙資料のホチキス針を外す作業に3時間ほどひたすら従事しながら、2年ぶりの寂寥感を味わっていた。