「将門塚」
神田から大手町まで歩ければ15分くらい。東京メトロ大手町駅は只今大改装工事中だ。1956年に丸ノ内線大手町駅が開業して2016年に60周年になるという。今や東西線(1966)、千代田線(1969)、半蔵門線(1989)が乗り入れ、都営三田線も大手町駅を構えている。
うんざりするほど広大でごちゃごちゃした地下道を歩いて、都営三田線の大手町駅を目指したが、分からなくなってしまった。そこで地上に出て歩き始めたら、三井物産ビルの東側にこの小さな森を見つけた。
「将門塚」(千代田区大手町1-2-1)だという。「平安時代、朝廷に反逆し下総で討ち死にした平将門の首が京でさらされ、その首を所縁の人々がもらい受け、当時の武蔵の国豊島郡平川村(皇居平河門あたり)の観音堂かたわらに埋葬したとも、怨念で京から首がこの地に飛んできたものを祀ったともいわれています」(千代田区観光協会)。塚そのものは関東大震災後、大蔵省再建の際に崩されたとか。
碑文を読んだり、写真を撮ったり、ぶらぶらしていると、どういうわけか、次から次へとお参りに来る人が絶えないのにはびっくりした。若者で缶入りドリンクを供えて、手を合わせている光景には目を見張った。
30分ほどぼんやりしているうちに、かつて、今日と同じように、これは何だろうと立ち寄ったことを思い出した。10年も20年も前のことだ。そう言えば、経済記者としての駆け出しも大手町だった。経団連を拠点にうろうろしたはずだ。人間の記憶は覚束ない。
神田明神の幟が立っているのはこの地が神田明神創建の地だったため。さらに、江戸時代寛文年間、酒井雅楽頭の上屋敷の中庭であり、山本周五郎の歴史小説『樅の木は残った』の原田甲斐の刃傷事件の舞台となったところでもあるという。
目の前では三菱地所が「大手町1-1計画」(街区名「大手町ホトリア」)を推進中。丸の内再構築第2ステージ・第4弾プロジェクトらしい。あちこち工事だらけで、とにかく新街区が続々登場している。とても覚え切れない。
大手町パークビルには、シンガポール・アスコット社の最高級ブランドのサービスアパートメントが日本初出店するという。とにかくディベロッパーも忙しい。