元同僚

 

宴会コースのパンフレット

鍛冶屋文蔵(有楽町店)の宴会

 

お誘いの声が掛かったら、基本的に受けることにしている。断るのは簡単だが、断れば、大体そこで縁が切れることになるからだ。さほど気が乗らなくても、少しお金が掛かっても、迷ったら行くことにしている。

難しいのは元会社関係の集まりだ。日本のサラリーマンの人生は会社人生だが、40年近くも勤め、やっと縁が切れたのに、OBになってからもまた会社関係の人間と付き合うのはいかがなものか、とずっと思っていた。会社時代の上下関係を引きずるのは願い下げにしたいからだ。だから会社のOB会にも加入していない。

しかし、この頃、そんなにかたくなになる必要もないのではないか、と思うようになってきた。この日、久しぶりに、昔、所属は違ったものの、マーケット系ニュースサービスへの取り組みで一緒に仕事をした元同僚と話をして、そう感じた。

一緒に仕事をしたいろんな局面で、「あなたはあのとき、こんなことを言った。そのとき私はこう思った」、「あの局面で私はこういうふうに考えていた」など、今になって聞くことのできる話もあった。人に対する評価も、会社との利害関係がなくなってから冷静に下せることもある。

会社生活が続いている中では、自分にいつか定年が訪れることには実感が湧かない。いろんな局面での自分の発言や行動はそれなりに判断や確信に基づくものではあるものの、その時点でのもので、それが本当に最善だったかどうかは分からない。

大体が「その時点ではベストだった」なのかもしれないが、10年も20年もたってみると、「もっと別の判断があって良かった」と思うものだ。今さらながらだが、そうした思いにとらわれる。

人生にイフはない。終わったことだ。しかし、当時の自分が置かれた状況や自分がとった行動、何気なくした発言などの一片を思い出すのは大体がその時に一緒の空気を吸っていた仕事仲間だ。自分がその時を生きていたことを明確に思い出せるのは、自分というよりも、一緒にいた仲間だ。

悲しいかな、一緒にいた時間は妻よりも仕事仲間のほうが長い。会社にいた時間のほうが確実に長い。そんな貴重な時間を共にした仕事仲間との甘い語らいを拒否するのは何とももったいない。

今頃になって、そんなことを感じている。

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