最後の原稿

 

最後の原稿

原稿には赤ペンがいっぱい入っていた

 

12日早朝急逝した友人の通夜式が八王子市内でしめやかに執り行われた。少し早めに行ったので、運良く式場内に入ることができた。入り切れずにロビーにたたずむ人が多かった。故人の人徳もあって、会葬者の列が途切れなかった。

享年67歳。60歳で勤めていた会社を定年退職。64歳までは同じ会社のシニア嘱託として働いた。それから3年間、フリージャーナリストとして活動した。亡くなる直前まで自宅で執筆作業を行っていた。

お清め所の隅に彼の写真や遺品などが置かれていた。写真の中で家族などとともに写っている彼は若い。「お気楽スマイル新聞」のバックナンバーが展示されていた。両親の「生誕185歳」祝いを兼ねた八ヶ岳家族旅行をトップニュースとしたファミリー新聞。こんな家族思いの一面があるとは知らなかった。

インタビュー記事の最終校正が置かれていた。赤ペンがいっぱい入っていた。最後の最後まで原稿を書いていた。原稿のない生活なんか考えられなかったに違いない。原稿こそ命だった。しかし、それはストレスというよりも喜びだったように思う。

ただ、原稿のために死んでしまったのでは何にもならない。生きていてこその原稿だ。自分が死んで、原稿が残った。やはり、残るのは原稿ではなく、彼自身だった。

お清め所で会社の元同僚らと故人を偲んだ。その後、駅近くの居酒屋で偲んでいる別の職場の元同僚らと合流。故人の思い出話に花を咲かせた。多くの人が故人を愛していた。嬉しかった。

しばらくして通夜式の行われた会館に戻った。故人の顔をもう一度見ておこうと思ったからだ。通夜式では多くの弔問客でごった返し、故人の遺影さえゆっくり見ることもできない。棺の中の彼はなぜだか、背広を着てネクタイまで締めていた。

 

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