【北関東ドライブ】「染料美術館」から高崎自然歩道を歩いて「白衣観音」「洞窟観音」「徳明園」を巡る旅

 

 

高崎白衣大観音

 

■高崎観音を実際に参拝する

 

10月に東北をドライブしたばかりだが、あんまり天気が良いとじっとしておれない。味を占めた政府の観光需要喚起策「Go to トラベル」事業にもう一度行こうと北関東・日光で宿を探したが、「Go toトラベル」 で取ったつもりがそうなっていなかった。

その後検索予約サイト「Staynavi」で地域クーポン券も発行してもらい、あとは行くばかりになっていたが、その前に来たのが当該ホテルからの電話。取った予約は「Go to トラベル」の対象ではなく、通常の予約だという。

「Go to トラベル」の対象でないと35%の宿泊割引は適用されない。またお土産物などのクーポン券も発行できないという。それで了解していただけるのなら予約は成立しますという。

結局、日光はキャンセル処理をした結果、その宿には泊まれなくなった。Go to トラベル事業が行われている以上、その対象外で行くのは不公平だ。損する気分になる。というわけで、結局行く先は北関東の高崎(群馬県)になった。宿泊なしの日帰りの旅だ。

高崎は国道17号線沿い。大学時代に陸送のバイトをやっていた頃、高崎の先の前橋にはよく行った。水戸へもよく走った。会社員になってからも関越道を走って軽井沢などに行った際には何度も高崎の観音さんを遠目に拝んでいた。しかし実際に参拝したことはなかった。

 

真正面から観音さんを拝む

 

高崎観音は観音山の頂上にそびえる高崎のシンボルだ。高さ41.8mの鉄筋コンクリート造りで、建立されたのは昭和11年(1936年)。昭和61年(1986年)と平成7年(1995年)に大掛かりな修理が施され、平成8年(1996年)には太鼓橋が新しくなり、新たに大師堂が建立された。

観音山の丘陵の地に、高崎の街を見下ろすように建てられている。正確に言うと、高崎白衣(たかさきびゃくえ)大観音という。白衣は「はくい」でも「びゃくい」でもなく、「びゃくえ」と呼ぶようだが、高崎市民は「びゃくい」と言っている。

 

小窓から高崎市を眺める

 

眼下に慈眼院

 

標高190mの山頂は高野山真言宗慈眼院(高崎市石原町)。建立当時は世界最大の観音像だったが、現在ではウィキペディアによると、実業家の井上保三郎が高崎に駐屯していた大日本帝国陸軍歩兵第15連隊の戦没者を慰霊するとともに、観光地とすることが目的だった。

胎内(内部)は146段の階段が9層を結んでおり、合わせて20体の仏像が安置されている。原型製作は伊勢崎市出身の鋳金工芸作家・森村酉三によるもの。

 

太平軒食堂

 

焼生姜は絶品

 

下仁田こんにゃくを使った名物「みそおでん」

 

味が薄かったが、味噌汁や付き出しもついた玉子丼

 

■土産物屋で出会った「焼生姜」

 

帰りしな裏参道を通っていくと土産物屋を兼業した「太平軒食堂」があった。だるまや観音様が所狭しと置かれていた。玉子どんぶりが目に入った。お腹も空いていた。

注文してから調理途中にどうも近所のおばさんが来たらしい。客をほったらかして長話が始まった。勘弁してよと言いたかった。5分以上話していた。プロの店は調理の途中に他人と話し込むようなことは決してない。

だからこういう店に入るのは考え物だとは思ったが、あとの祭り。客のおばさんが帰ってから、つい「もう帰るよ」と言ってしまった。おばさんは恐縮して洞窟観音の10%割引券を2枚くれた。

土産物屋でも意外な逸品に出会うこともある。最初にきゃらぶきと一緒に出てきた佃煮の「焼生姜」(真ん中、製造者はダイマツ=長野県大字草間、販売者はみゆき食品=群馬県渋川市金井)が実にうまかった。

生姜のうまみとかつおの風味が自慢の商品だ。上皇后美智子さまの実家である創業明治6年の正田醤油(群馬県館林市)を使用していると大きく書かれている。どこの醤油を使っていようとそんなに味に影響が出るわけでもないとは言うまい。

たまたま出てきた佃煮だが、土産物屋だからこそこういうものも意外と簡単に口に入る。プロの店に入ってプロのサービスを堪能するのも良いが、多少の”欠点”はあるものの、良いも悪いも含めた身近なサービスを受けるのも悪くはないような気もしている。

お土産に買って帰った。帰ってラベルをよくよく見てみると、内容量は250g。食塩相当量3.6g(100gにつき)だという。1日の塩分摂取量は高齢者で6g未満(高血圧者)が望ましいならば、ちょっと考え物かもしれない、とまた考えてしまった。

 

表参道から眺めた高崎観音

 

延命観音

 

聖観音(しょうかんのん)

 

■50年かけて人力で山をくり抜く

 

白衣観音の裏参道を下りていくと高崎自然歩道に出る。なだらかな山道だ。木々は黄葉しており、なかなか見事だ。麓に立地しているのが洞窟観音。50年の歳月をかけ人力で山をくり抜いた約400mの洞窟だ。

呉服商として財をなした山田徳蔵が人々がともに楽しめる観光参拝場を建設しようと決意。大正8年(1919年)に着工。翁が私財を投じて50年間、動力や土木機械のない時代につるはしやスコップなどすべて人力で山を抜き、石を運び、この地中観音霊場を昭和39年(1964年)に完成したという。

洞窟内は通年17℃程度に保たれ、30℃を超える真夏の日中にも納涼を兼ねて参拝できるという。洞窟観音の観音象はすべて新潟魚沼出身の石掘師「高橋楽山」が生涯をかけて残した芸術的価値の高い作品群といわれる。

洞窟内の黒色の溶岩は浅間山から信越線で運び下され、装飾として人の手により張り付けられ、また無数に配置された巨石はすべて藤岡市鬼石から運び込まれた群馬県産の三波石。

戦時中には高崎市民4000人を収容できる「防空壕」としての価値が認められ、セメントや鋼材が陸軍から配給され、建設が続いた。

 

 

徳明園では新郎新婦が記念写真を撮っていた

 

徳明園

 

■徳明園は6000坪の日本庭園

 

徳明園は北関東屈指といわれる約6000坪の日本庭園。洞窟観音と同時に造成が進められた。庭園は主に池泉回遊、枯山水、苔庭、石庭の4つのエリアからなり、初春のつつじや山桜、輝かしい新緑、初夏の紫陽花と秋の紅葉は名高い。

造園は明治神宮の造園も行った新潟市の2代目後藤石水によって行われた。園内各所には高橋楽山の作品も散りばめられ、彼の代表作ともいえる浦島太郎や笑い鬼、笑い閻魔も残されている。

そばには山田徳蔵の資料館「洞窟観音山徳記念館」も立地している。「地中に洞窟観音、地上に徳明園、空に高崎号」と言われ、親交の深かった漫画家・北沢楽天の作品や呉服店経営当時の様子、高崎航空普及協会関連資料なども展示されている。

 

高崎自然歩道

 

高崎自然歩道

 

ひびきばし

 

 

高崎市染料植物園

 

紅花染め

 

■高崎市染料植物園で草木染めを見る

 

最後に訪ねたのが高崎市染料植物園(高崎市寺尾町)。日本の染織文化やその魅力を染料植物とともに紹介する全国でも珍しい施設だという。染色は日本人にとって古代から続く生活文化だ。

中核になっているのが「染料植物の道」。飛鳥・奈良の道、平安・鎌倉の道、室町・江戸の道、現代の道が設けられているほか、温室や自然観察園、染色工芸館などが立地している。園内はびっくりするほど広い。

染料植物園では収蔵品展「草木染の美 日本染織文化史」が開催されていた。ここは最初に車を駐めた思いやり駐車場(無料)もある。非常に長い1日だった。くたびれました。

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