世界の農場数の90%以上を占める「家族農業」をもう一度考える時期=農学会・日本農学アカデミー共催公開シンポ

国連の「家族農業」がめざすもの(関根佳恵)

 

■国連が「家族農業の10年」採択

 

公益財団法人農学会と日本農学アカデミーは共同で「家族経営農家の飽くなき挑戦と地方創生」と題した公開シンポジウムを3月13日、オンライン開催した。一般社団法人日本農学会とは別の組織らしいが、よく分からない。

主催者側を代表して東京大学大学院農学生命科学研究科の溝口勝教授が国連の「家族農業の10年」(2019-2028)を紹介し、新しい農業、新しい農学について考えることの必要性を提起した。農学会としてもこれに同調する考えだと語った。

・世界の農場数の90%以上が家族農業である。
・家族農業は世界の農地の70-80%を占めている。
・世界の食料の80%以上を家族農業が供給している。
・日本の農業経営体122万のうち家族経営体は118.5万(97%)である。
・日本の農業経営体で1ha未満が占める割合は52.8%、5ha未満は91.1%である。(関根佳恵愛知学院大学准教授、2019より抜粋)

農学会では昨年、このテーマでシンポを計画したが、コロナ禍もあって中止。1年経った現在も色あせるものではなく、むしろ「家族経営」は見直されつつある。農学会としてもますます取り組んでいくべき課題であると述べた。

 

大きく変わった農地貸借の市場

 

■条件さえ許せば、成果を生むことも可能

 

まず福島大学食農学類長の生源寺眞一教授が「近未来の農業・農村を考えるー新潮流と変わらぬ本質ー」のタイトルで話をした。

・農地の貸し借りの関係が今ずいぶん変わりつつある。農業経営が消費者に接近することや企業の参入を含めて農業の担い手が変わりつつある。この辺が新潮流だ。

・農業については一律に論じることはできない。「日本農業は壊滅状態にある」との言い方や「何番目に強い」との言い方もある。心配な部分と大きな成果を上げている面が共存している。条件さえ整えば、国際水準の成果も生むことはできる。これが日本の農業者だということは私の確信になっている。

・半世紀の間に稲作の規模は倍にもなっていない。酪農は30倍以上規模拡大が行われている。同じ農業でも一律に論じられない。問題は水田農業。高齢化が極めて顕著だ。モンスーンアジアの歴史、文化を踏まえながら、しかし現在の農業技術あるいは経営者能力を十分に発揮できる水田農業の在り方を考えることが非常に大事だ。

・一方新大陸型(米中西部や豪州)の大規模農業を実現することのは不可能であり、かつ望ましいことではないと考えている。悩みの深い日本の食料農業事情は経済成長のステージに入っているアジアの国々がこれから直面する課題を先取りしている面もあり、じっくり考える必要がある。

 

「買い方・食べ方も変わった日本の消費者」

 

■コメの消費、半分以下に

 

・水田農業はずいぶん変わった。15年前の耕作者の年齢は既に60代後半。この層が急速にリタイアしつつある。かつての水田農村地帯では安定した兼業農家が多数を占めていた。農地の貸し借りで言っても借りたいと言っても手放してくれる人がいない。貸し手市場の構造だった。

・貸し出される農地が急速に増加している。地域差はあるにしても西の方から進んでいる。あちこちに対象農地が出てきている。どんどん借りてくれと対応仕切れないというケースすらある状況だ。今後の水田農業を判断する上で重要な要素だ。

・コメのピークは1962年(昭和37)で1人当たり年間118kgを食べていた。今は50kg台と半分以下。

・産業連関表を基に農水省が試算した数値によると、2005年(平成17)の飲食費に最終消費額は約74兆円。当時のGDPは500兆円。中身は生鮮品が18%、加工品が53%、外食が29%。2011年になると、16%、51%、33%。

・原材料費は国内生産の9.4兆円、生鮮品の輸入1.2兆円の合計10兆円。これが74兆円になっている。5倍。4兆円はどこに行ったのか。

・農業水産業の雇用は1970年には1000万人。今や300万人だ。食品産業は500万人だったのが800万人になっている。食品産業で働いている人たちの付加価値が74兆円のかなりの部分を占めている。食品産業の中でも飲食店はまだ伸びており、雇用機会への影響は大だ。

・農林水産業+食品産業=1100万人。現在働いている人は6000万人を切っている。5人に1人は食べ物に関係する仕事に就いている。96%は家族農業。

 

食品産業にウイングを広げる経営

 

■食品産業にウイングを広げる動き

 

・農業経営が食品産業にウイングを広げる動きが活発化している。1haで一家の生計を維持できたのは戦後間もない時代のこと。経済の発展が始まる途上国時代の日本だった。施設園芸は別。通常に稲作ならとても家族を支えることはできない。

・現在の流れはフードチェーンの川下の食品産業にウイングを広げるような動きだ。餅米を餅に加工して販売する。立派に食品加工業であり食品流通業を営んでいる。農家レストランは外食産業。

・自分で品物の値段を決める作業を行う.女性の経営者の能力が生かされる。実は消費者に接近している。消費者との交流から仕事の充実感を得ている農業者も少なくない。

・新たな農業担い手像も新潮流だ。40歳未満の新規就農者のうち42%が農業法人などで就業した雇用就農者で、12%は起業型の新規参入者。いずれも大半は非農家出身。残りの46%は親元就農だった。

・家族農業のほうが継承できる点で有利性がある。家族の中で継承するのがメインストリームであることは間違いない。長男が継ぎ、お嫁さんをもらうのが一般的通念だったが、明らかに変化している。次男が継いだり、娘が継いでいるレアケースもある。

・職業として選択した結果として農業を始めているケースもある。家族経営の中味も変わってきていると言えるかもしれない。

・法人型の農業経営も非農家出身の農業者の受け皿として存在感を発揮している。いずれ独立して、暖簾分けして農業経営を別の形で生み出すケースもある。

・法人の強みは雇用力だ。いろんな作物を作ることによって、近所の野菜を販売することによって雇用を生み出している。「ほど良い面積を丁寧に耕す」という日本の農業のDNAは日本にあっても健在だと思う。

・新しい動きとしては企業の農業参入が進んでいる。2009年には特区によって門戸を開いたが、現在は5倍のペース。農業界の学びもあるが、冷静に考えると、まだ企業の農業生産におけるポジションはマイナーな存在だ。平均借り入れ面積は3ha。総農地面積に占める企業の耕作面積の割合は0.23%。1万haだ。日本の農地440万ha。そんなに多くはない。

・福祉法人や医療法人の参入がかなりの割合を占めている。2018年末までの積み上げで参入法人が3200のうち、株式会社は2000。残りの1200は株式会社以外の法人。企業の参入も冷静に見ておく必要がある。

 

超高齢社会と農業

 

■高齢者の新規就農にもそれなりの意味がある!

 

・新規就農者は若者だけではない。2018年の場合、5万5800人が新規就農しているが、そのうちの2万9000人は60歳以上。退職後にもう一度農業をやろうとするケースが半分だ。これも家族経営の”中高齢版”かもしれない。この方式にも意味があると思う。

・健康寿命の延伸につながる説もあるし、地域の直売場を支えている面もある。中高年が取り組む農作業に触れることで、子どもたち(息子・娘ではなく孫の世代)が農業の面白さを知るケースもある。

・非農家のこどもであってもおじいちゃんのところで牛と出会ったとか、果樹の栽培に出会ったとか、農業への目覚め。農業大学校に進学するケースも結構ある。祖父母から孫へ伝える意味でも、祖父母のみなさんの新規就農には意味があると思っている。

・農地は貸し手市場から借り手市場になっている。極端に言うと、いくらでも借りられる。そういう状況の下で、高齢者に農業を委ねていると担い手に農業を集積することが遅れてしまうというこの懸念は払拭されつつあるのではないか。高齢者にも頑張ってやってもらう意味がある。

 

農業インフラの保全も重要な課題

 

■日本の農業は2階建て

 

・農村の共同行動は文化資産。特に水田農業についてそうである。程度の違いはあるが、モンスーンアジアにも共通する要素と申し上げていい。日本の農業は2階建てだ。市場経済との絶えざる交渉のもとにあるビジネス(できるだけ安く資材を確保してできるだけたくさんの農産物を高く売って所得を得る)の上層と、地域の農業インフラを支えるコミュニティーの共同行動の下で機能してきた基層からなる。上層は製造業やサービス業と変わらない。経済主体だ。

・それだけで完結しないところに日本の農業、アジアの農業のユニークさがある。典型的なのは農業用水路の維持であり、公平や用水配分のルールの発動だ。こういった部分があるからこそ農業用水がきちんと確保できている。従って稲作もきちんとできる。この部分がベースにある。

・農道維持管理や公民館。これらは都会が学ぶべき農村の文化的資産ではないか。都会にもこういう共同行動が結構あった。マンション住まいとなると税金を払って行政に任せている。共同行動が現存していた時代から農村の構造が変化している。

・農地改革以降はみんな1ha。群馬県ならコメと麦を作って蚕を飼っている。みんな同じ品目を作っている。共同行動は非常に分かりやすい。水田農業20haやっている農家もあれば、5田圃だけで販売だけもある。既にそこに住んでいない人すら農地の保有地の中にはいる。

・外から入ってきてその地で農業をやる人も増えてくるはずだ。そういう中で共同行動の仕組みをどう考えていくか。これは非常に重要な問題だと思う。

 

「決まりごと」が通用しない時代に

 

■「コモンズの悲劇」

 

・長い目で見ると、農村は条件が変わった時期に決まりごとを自分たちで作ってきた。そういうようなことがもう一度求められている。メンバーがごろっと替わった。そういう下での共同行動はどうなんだ。

・きちんと頑張って考えれば、合理的な行動な方法を満たすことは可能だ。農村の共同行動はものすごくたくさんの種類がある。農業について負担が大きいが、学校教育では別の人に頑張ってもらっている。神社の維持管理は別の人にやってもらっている。役割負担のバランスの問題だ。

・今は30代だから農村の共同行動を支えられるが、あと20年、30年経つと支えられる側にある。長期の時間シェアの下でのバランスを考えて現在の方式が合理的だと納得できる。こういうようなことも必要ではないか。

・1968年の『サイエンス』に掲載された論文「コモンズの悲劇」で、G・ハーディンは地球社会全体をコモンズ(共有地)に見立てて、メンバーである人類の合理的で利己的な行動によってコモンズ(共有地)は崩壊すると警鐘を発信している。

・しかし実際のコモンズは世紀を超えて維持されている。ルールもある。ルールを変えるだけの知恵もあった。これをゲーム理論を援用しながら検証したE・オストロムは2009年に女性初のノーベル経済学賞を受賞している。

・日本の水の管理も地域地域によって千差万別だ。そこには国境を越えて、時間を超えて維持されている共通の知恵があるだろう。農村の若手には地球全体の知識の表れだということを伝えたい。ローカルかつグローバルにも価値がある。

 

米国や豪州では?

 

■日本の農村は多面的機能を実感で感じられる

 

・最後に農村空間の特色を活かす。日本では都会と農村は隣り合わせだ。ちょっと車を走らせれば農村に行ける。車で来てくれるから直売所も多い。当たり前だと思っているが、EUについても共通している。

・農村空間は生産の場であると同時に、農家以外も含めて人々がそこに暮らす空間でもあり、外から訪ねてくれる空間でもある。この3つが重なり合っている。農地のストックがないので重なり合う形で使うしかなかった。

・米中西部や豪州、カナダ、NZは農場は空間として主張され、アクセスするための国立公園は全く別の場所にある。歴史が新しいだけに農村空間を豊富に持っている。農業の多面的機能という概念が実感を持って受け止められる。

・農家以外の人が住んでいて、農業外の副産物を「そうだね」と受け止められる。あるいは都会から訪れた人が「こういういいことがあるのか」という形で実感してもらう。豪州の農場ではこういう感覚は生まれにくい。

・日本やEUは恵まれている。至近距離に農村がある。農業・農村に触れることができる。農業には教育と共通する、育っていく物を育てる面がある。おかしくなる物もあるが、それを立て直すのも教育の役割であり、農業の役割でもある。

・極度に便利で効率的な現代社会に住み慣れたことで生き物としての人間の本能的・本質的な能力が次第に劣化。食料を何の苦労もなく手にできる私たちには、高度な集中治療室に横たわった患者に似た面もあるのではないか。

・この面のもう一度生き物に触ってみるのも大事なのではないか。

 

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.