セールを楽しんだあと「北の丸公園」の花を愛で「清水門」も少し学習した早春

 

北の丸公園案内図

 

■山陽セールでジャケットを買う

 

3月14日の空は見事に晴れ渡っていたが、風が極めて強く、体感温度は意外と低かった。日曜日。それでも山陽商会(SANYO)のセール最終日である。セールは密そのものだが、コロナ禍では密は困る。密を避けながら、セールを楽むのは意外と難しい。

久しぶりにファミリーセールに行く。2年行かないと案内状が来ない。だから2年に一度の割合で行っている。セールは間違いなく、品物の質が良い。高いだけの値打ちがある。ジャケットなども裏がきちっと付いている。外れがないのだ。

会場は北の丸公園内の科学技術館。いつもここだ。九段下から歩いても竹橋から歩いても大体8分。東京の西の果て(光が丘)からだと九段下(都営新宿線)で降りた。田安門をくぐって北の丸公園に入って日本武道館の脇を通り、とぼとぼ歩いて行く。

山陽商会が取り扱うのは昔はバーバリー・ブランドだった。双方の関係は1965年に山陽が輸入販売を開始して以来半世紀ずっと続いていたが、2015年春夏シーズンを最後にライセンス関係は解消された。

山陽が扱うのはバーバリーの名前を外した「ブラックレーベル」(男性用)と「ブルーレーベル」(女性用)になったが、現在は「クレストブリッジ」一本になっている。

山陽はマッキントッシュロンドン、ポール・スチュアート、エポカの3事業に絞り、「新生山陽商会」を打ち出しているが、なかなか売上高が戻らない。とにかくバーバリーのインパクトが強すぎた。しかし、私はスコッチハウスも好きである。

スコッチハウスは英スコットランド・グラスゴー出身のガーディナー兄弟が1839年にツイードとタータンを揃えた店をロンドンの構えたことで誕生した。ジェントルマンカントリースタイルをベースに、機能性とファッション性を加味しながら「大人の休日」のライフスタイルを提案している。

ガーディナー兄弟は当時、民族衣装だったタータンをファッションとして普及させ、またのちに世界中から評価されるようになったスコットランド素材やニットを拡げた先駆者だったといわれる。

山陽のセールではザ・スコッチハウスのジャケット2着と帽子を2つ買った。この1年間、新型コロナウイルスの感染拡大で外出する機会が悲しいほど減った。新しいジャケットを買った以上、何とかこれを着て出掛けたい。

東京都など1都3県は緊急事態宣言の解除を巡り、各知事の見解が分かれている。誰もが感染対策を意識しながら行動しているのは確かで、「効果が薄れている。さらに延長と言っても、みなさんの気持ちが続かない」(黒岩祐治神奈川県知事)状態だ。

どこで何がどうなっているのか全く開示されず、ただ医療関係者の視点からだけで一方的に「ベッドが足りない」と言われ、自粛を要請されているのではどうにもならない。みんな外に出ているが、当然ながら細心の注意を払って出ている。

政治家や官僚、医療関係者などはみな大忙しだ。じっと自宅にいるひとはいないはずだ。彼らに不要不急はない。不要不急とは縁遠い。そんな人たちから「お前たち、不要不急の害外出はするな」と言われても素直に「はい」とは言えないのだ。

 

■北の丸公園は花盛り

 

見事に咲いたコブシかな

時は3月である。爛漫の春がやってきた。いたるところにコブシが白い花を咲かせている。今やどこでも咲いているが、モクレンほど大きくはない。意外と花は小さい。この小さな花が美しい。

 

河津桜

 

正直言って至る所に河津桜が咲いている。河津桜はソメイヨシノより1カ月は早く咲く。これだけ増えてくれば、ソメイヨシノの「開花宣言」の有り難みも薄れるというものだ。

 

そろそろ終わりそうなボケ

 

これはどうやらカタバミらしい

 

科学博物館のそばの土手にぎっしりと咲いていた。これは「菜の花」だろうか。家人に聞いたら「カタバミ」ではないかと言われた。南アフリカのケープ地方が原産。日本へは園芸植物として渡来し、いつの間にか野生化した。

みんなの花図鑑によると、「オオキバナカタバミ」(大黄花片喰)というらしい。

 

どういうわけか吉田茂像が・・・

 

 

北の丸公園のサンシュウ

 

サンシュウが黄色い花を咲かせていた。この花を見ると、田舎の実家で母が植えたサンシュウを思い出す。実家には誰も住んでいなかったからサンシュウはこの季節、いつも独りで咲いていたことだろう。

「庭のサンシュウの木・・・」と歌う宮崎県椎葉村に伝わる「ひえつき節」が有名だ。平家の落人伝説を初めて知った。どの歌にも昔の歴史が籠もっている。

 

 

 

 

終わってしまったシナマンサク

 

これは花が終わってしまったマンサク。「この木が咲き始めたら春が来ますよ」。既にもう春が来ている。名前の由来も早春に「まず咲く」から来ているらしい。

 

こちらはまだ咲いているマンサク

 

アセビ

 

みんなの花図鑑は「濃い緑色の葉が茂る枝先に壺形の白い小花を総状にたくさんつける。 花冠の先は浅く5つに裂ける。 花の色は、緑や黄色みを帯びたものや桃色、赤などの園芸品種もある」とある。

『枝葉に「アセボチン」という有毒成分を含んでいて、馬が食べると麻酔状態になるというので「馬酔木」と名づけられた。 アシビ、アセボ、アセミなどの別名がある。 葉は殺虫剤として利用され、材は床柱などの細工物に使われる。 俳句では「馬酔木の花」が春の季語である』ともいわれる。

 

櫓門

 

高麗門

 

■初めて清水門から出る

 

旧江戸城・清水門(しみずもん)は国の重要文化財。長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607)に天守閣、寛永13年(1636)に総構(そうがまえ)が完成し、大城郭としての形が整えられた。

その後、明暦3年(1657)をはじめ、数度の大火に見舞われたものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。

清水門は、北の丸北東部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。門の創建年代は明らかではないが、高麗門は万治元年(1658)に建てられたものであると考えられている。

清水門は、建立年代の判明する江戸時代の遺構として高い価値を有しており、門から北の丸に至る石段とともに江戸時代の状況を色濃く残している。

 

土橋の先は高麗門

 

清水門から武道館を眺める

 

清水濠と牛ヶ淵を分ける長い土橋の先に高麗門が見えている。さらに右を見れば、牛ヶ淵の向こうに武道館が立っている。

北の丸公園(皇居外苑北の丸地区)は、江戸時代に江戸城北の丸があった場所で、公園の名称や町名はこのことに由来している。昭和44年(1969)に昭和天皇の還暦を記念して開園し、「歴史と自然の森」として一般公開されている。

 

 

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